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人を殺すことは,人の命と種を否定する孝に反する積不善の悪行で,自然の摂理に反し集団の正義に反する行為で許されません。

その行為の対価は,集団での刑罰のみならず「積不善の家に余殃あり」との言葉があるとおり,子々孫々に渡って不運が続くという果によっても払い続けることになるのです。

一方,正当防衛としてやむなく人を殺したり,戦争で積極的に人を殺した場合は,人を殺しても問題はないのでしょうか。

国家という集団の規範である正当防衛が成立する場合,刑法の殺人罪は成立せず集団の正義に反しません。しかし,人を殺す行為が孝に反する積不善の悪行で自然の摂理に反する行為であることに変わりなく,なお積不善の余殃を覚悟する必要があります。

では,国権の発動たる戦争で人を殺した場合はどうか。この場合,国家の正義下では殺人であっても問題にされていません。

しかし,戦争は,戦争自体が人類のみならず地球上に存在するあらゆる種の命を大量に奪い人類及びその他の種を破壊し滅亡させることになる行為で,自然の摂理と孝に反する大悪業です。

戦争は,命と種を大量に破壊する残虐悲惨な自滅的行為であり,正義や大義を旗印とする戦争でも悪業ですので,個人の自律の問題として,戦争を防止するよう務める必要があるのです。

戦争を防止する為に戦争の歴史を学ぶ必要があり,同時に,自国の防衛を他国や傭兵等に依存して武力を放棄した国は,国として自律的に存続できるかどうかも考えて欲しいと思っています。

                 平成28年10月11日

                     塾長 倉田榮喜