最終更新:

DSC_0576

死刑の執行を国の正義と言えるか,皆さんはどう考えますか。

最高裁判所は,昭和23年に「生命は尊貴である。一人の生命は、全地球より重い。」としながら,憲法は「公共の福祉という基本原則に反する場合には、生命に対する国民の権利といえども立法上制限乃至剥奪されることを当然予想している。」として,死刑制度を合憲とし,死刑は現在も執行されています。

個人の尊厳を憲法の中核価値とし,「一人の生命は、全地球より重い」としながら,国が人を殺すことはどうして是なのか,死刑の執行を正義と考えることができるのか,という問題です。

国家は統治の究極の力として武力や暴力を独占し,日本でも豊臣秀吉の「刀狩り」や明治政府の「帯刀禁止令」以降,個人や私的集団による「武力等の力の行使」は禁止され,現在,社会秩序の為に必要な力の行使は,国だけが持つという体制になっています。

ヒトが人として支えあう集団の中で,個々の幸福に反し集団の秩序を崩壊させる行為の応分の対価として,死刑執行を集団の正義と考えることは無理ではないと考えることは可能です。

しかし,命の種を断つ殺人行為が自然の摂理に反する以上は,これを是とする集団の正義は自然の摂理に反するのではないか。

そして,国家の正義が自然の摂理の範疇にあるのであれば,「国であれ死刑は認められない」という結論になると思うのです。

行為が著しく個々の幸福に反し国家の秩序を崩壊させるものであれば,その行為の対価と予防措置は死刑ではなく終身隔離の制度が検討されるべきだと考えています。

                 平成28年11月11日

                     塾長 倉田榮喜