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戦争まで

国家と国家の正義が衝突して紛争になった場合,当事国は普遍の正義を共通に認識して紛争の解として認めるのか,普遍の正義を「美徳の涵養と共通善」で判断することに同意するのか,普遍の正義を実効的に担保する統一的な力は存在するのか,問題の答えは簡単ではありません。

普遍の正義の判断基準である「美徳の涵養と共通善」を「美徳を育み善き生」としたうえで,地球の命の種と人類の未来を含めた地球全体の共通の価値を見出する必要があると思いますが,そのためには,「自然の摂理」と「固有の善」を判断の基に置くべきなのではないかと考えます。

普遍の正義は自然の摂理の下にあり,普遍の正義に融合される個人の客観的自律はヒトが人としてが培ってきた固有の善に基づくものですから,人本来の固有の善は国が異なっても人間である限りは同じと考えるからです。

紛争当事国が自然の摂理と人間固有の善を共通に認識することは困難なことではなく,これを共通に認識することで普遍の正義に基づく解決策は任意実行の可能性が高まると思うのです。

普遍の正義の判断基準である「美徳の涵養と共通善」とは「美徳を育み善き生」のことであり,「善き生」とは「自然の摂理」と「固有の善」を基にして,地球に存在する命の種と人類の共通の価値を目的として追求する事と考えます。

新しい年です!皆さんは普遍の正義についてどう考えますか。

                  平成29年1月11日

                      塾長 倉田榮喜