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餓死した英霊たち (2)

個人の尊厳が憲法で中核的価値とされることは,国家という集団の権力を抑制するために非常に重要な意義を持ちます。しかし,個人の尊厳という価値は,実際には自然界や国家の中で最大の価値となっていないのです。

最高裁が示した「一人の命は地球より重い」との語は名目にすぎず,国権の発動による戦争は人の命を酷く簡単に奪うのです。

国家が正義とする「公共の福祉」は権力者や多数者によるものであって,公共の福祉という名目で個人の自由や平等が容易く侵害される事は,現実や過去の歴史から学ぶことができます。

さらに,個々の個人は,自然の摂理や大孝というべき命の縛りの中で生きるのですから,人は自由ではなく不自由こそが原則と覚悟したほうが良いのですが,それでも人は集団において各々の「自」と「分」を果たすことが必要なのだと思うのです。

ヒトが人として相互に支え合う集団に帰属している以上は,個人が集団の正義に拘束されるのは前提であって,個人が完全な自由を得たいのであれば集団を離れるしかないのですが,集団を離れて生きることは自滅につながります。

では,帰属する集団の下で完全な自由と完全な平等はないと覚悟したうえで,自分の自と分を発揮してより自由でより平等な社会集団を形成するためはどうしたらよいのか。

立志学舎は,「国家の正義下にある個人の尊厳」という名目ではなく,「自然の摂理と万物の調和」を指標とする「自律他尊の生き方」を学ぶ学舎でありたいと考えています。

                  平成29年2月10日

                     塾長 倉田榮喜