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暴力と富と資本主義

国家において正義かどうかの判断権は,最後は武力(暴力)を独占する統治権者が持っているのが現実です。

憲法で中核価値とされる個人の尊厳は,自然権として憲法制定権者に正当性を与えるものですから,統治権者は個人の尊厳を最高価値として尊重するのは当然といえるのですが,統治権者が判断する正義の下で,国権が発動する戦争では個人の尊厳など簡単に無視された残酷な事実と歴史があります。

ではどうしたら統治権者の正義は,少数者も納得するより普遍的な正義といえるようになるのか。

その初めの一歩は,個々人が統治権者に影響を与えることができる個人の正義を持つことです。その為には人が持つ性欲・物欲・名誉欲も人生を生き抜く必要な生命力であることを認識しながらも,個々人において知性を習得し我欲や感情をコントロールする客観的自律を持って,普遍の正義を自分のものとする研鑽が必要になるのです。

国家の正義が統治者のものであっても,知性と客観的自律は個人のものです。統治権者に制限を受けずに読書や先人の生き方を学ぶことで知性と普遍の正義を身につけることができるのです。

知性は,知ったり,考えたり,判断したりする能力と言われますが,単なる知識ではなく我意や感情を抑制し例のない難事も逃げずに人生を生き抜く知力と智慧の基盤となるものです。

皆さんには,自分の自と分を知るためにも必要な知性を読書や先人等に学んで習得して,人生を生き抜く羅針盤として個人の正義を持って欲しいと願っています。

平成29年4月11日

塾長 倉田榮喜