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H29.11.10

悪は,自らが生き残るために他をも犠牲にするという動物的本能を根源とし,善は,種を維持するために子を慈しみ育てるという動物的本能が根源とすれば,動物である人は,根源的に悪性も善性も本性として備えていることになります。

人は,自然や集団の中で生き残るために他者を攻撃し犠牲にすることを厭わない悪性と共に,命の種を次世代に繋ぐために子を守り育てると共に他者も慈しむという善性も備えていると考えられます。

人は,動物の本能を持つが故に時と場合によって,悪性に基づいて行動することも善性に基づいて行動することもどちらも有るのであって,人間は,悪性と善性との間を揺れ動きながら自然と集団の中で生きているのです。

そのうえで,ヒトが躾で人となり,社会で礼を身に付けて集団で生きる摩擦を少なくし,分に応じた志を掲げることによって,人間は,動物としての悪性が抑えられ善性に基づく行動が勝る生き方ができるようになるのだと考えるところです。

貴方が自然や社会で悪性に基づいて人生を生きるとすれば,その総決算は子々孫々に負の連鎖をもたらし,その臨終は無残・残酷なものになるのが通常だと考える必要があります。

故に,人生の臨終における総決算は,悪行よりも善行が多く積まれていることが必用なのだと思うのです。

皆さんには,二度とない人生の一日一日において,善行と悪行の勝敗を記録に留める日々であって欲しいと願っています。

平成29年11月10日

塾長 倉田榮喜