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明治憲法下の教育勅語は,「我ガ臣民、克ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ、世々厥ノ美ヲ済セルハ、此レ我ガ国体ノ精華ニシテ、教育の淵源、又実ニ此処ニ存ス」「爾臣民、父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ、恭倹己レヲ持シ、博愛衆ニ及ボシ、学ヲ治メ、業ヲ習ヒ、以テ知能を啓発シ、徳器ヲ成就シ、進ンデ公益ヲ広メ、世務ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重ンジ、國法に遵ヒ、一旦緩急アレバ、義勇公ニ奉ジ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」と定め,臣民は「義勇」を「公ニ奉ジ」国と家族を守るために幾百万人もの人々が戦争で自分の命を使いました。

現行憲法は,天皇主権から国民主権となり,価値の中核は「個人の尊厳」とされていますが,現行憲法下において国民の求心力たりうる「国民の義」を考えることはできないのでしょうか。

「種の尊厳」を価値の根源とし,皆さんの命の源を遡る「孝」を根源の徳と位置付けて,国民の求心力となりうる「国民の義」として自然と天皇に対する「敬」を置いたらと考えるところです。

天皇家が八百万の自然を敬い国の伝統と文化を承継している事,天皇が国民統合の象徴となっている事からして,自然を敬い先祖を祀る意である「敬」は,自然と祖先を敬し国民統合の求心力としての「国民の義」にならないかと思うのです。自然と天皇に対する「敬」を国民の義とすることで,「国を愛する心」も具体的な形になるのではないかと思えるのです。

これは,国民の求心力となりえる「国民の義」は何かという問題ですから,皆さんもこの問題を頭において欲しいと思うのです。

平成30年10月11日

塾長 倉田榮喜