昭和30年代,中学を卒業したばかりの若者は,金の卵と持て囃され集団就職列車で東京へ大阪へと集められて都市経済を支える労働力となり,米を作る田は車を造る工場等となって日本の高度経済成長時代が築かれました。しかし,昭和から平成へそして令和の時代の今日では次の後継者を都市に供出した地方は,過疎の限界集落となって高齢者の集落となり,都市を支えた金の卵達の多くも資本主義の束縛の下で酷使された身体を抱えて老後を迎えています。
利益を産み続けることを命題とする資本主義は,共通資産である自然環境と地球資源を食い潰し,利益優先の市場経済に基づく成長至上主義は,抑圧や不平等と冨の格差をもたらしています。先人が血を贖って求めた自由と平等は,いまや資本主義を支える市場経済至上主義者によってじわりと簒奪されています。
環境と資源は,未来に引き渡さなければならない人類共通の資産であって,その天然資源が有限である以上は右肩上がりの成長を求め続ける資本主義とは早急に決別すべきなのだと思います。昭和の時代に地方から都市に移転した人口は,都市から地方に還流する必要があり,過疎地の荒れ果てた父祖の田畑を蘇えらせて自然を侵奪せず自然と共に生きる共生の生活文化を創造しなくてはならないのです。
皆さんには,資本主義の抑圧と不平等に束縛されることなく,自然と共生する生活文化を創りあげて欲しいと願っています。
令和元年11月11日
塾長 倉田榮喜