最終更新:

日本資本主義の父と呼ばれた澁澤榮一翁(1840~1931)は,「富をなす根源は何かと言えば仁義道徳、正しい道理の富でなければその富は完全に永続することはできない。」とし「論語と算盤」を著わして,利殖と仁義道徳は一致するものであるとした孟子に倣って人格の形成と利の追及は両立させることが必要であると説かれましたが,現在の資本主義の利を最優先させて未来の資源も貪って自然環境を悪化させ人間の尊厳も軽視して個の労働力を細分化して搾取するという現状は,資本主義者や経営者の仁義道徳という個人資質に任せては解決しません。また,日本の財政赤字と環境破壊は国民が生活の利便を求めて収入を優先して自然環境の破壊を認めた結果ですが,政治も環境問題や借金を次世代に先送りする現況では未来の展望は困難です。皆さんは,この現況を見極めて,二宮尊徳翁の「徳は本なり、財は末なり。」として徳である人格・品性を養うことが根本の一義であり財の蓄積は第二,第三の問題であって本末を誤ってはならないと訓えられた「勤労・誠実・分度・推譲の道」を皆さんの二度とない人生の生き方として学び実践して欲しいと思うのです。

二宮尊徳翁は,「誠心を以て本と為す。勤労を以て主と為す。分度を以て体と為す。推譲を以て用となす。」と訓えられ,生活は勤労収入の半分で暮らして残りの半分は未来の備えと他への推譲に使うべしとされるのですが,私達が未来へ希望を拓くのであれば,資本主義システムと都市中心主義だけではなく,私達の現在の生活様式も見直す必要があるのです。

令和2年2月28日

塾長 倉田榮喜