Category: コラム

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自然はだれのものか

コモンズとは共有地のことで「コモンズの悲劇」は,「牛が放牧される牧草地で一人が自己の利益を増やす目的で牛の頭数を増やせば他の共有者も牛の頭数を増やし,結果,牧草は草の再生前に食い尽くされてしまう」と説明されます。

コモンズの悲劇は,地球コモンズのメンバーである人類が自己中心的な我欲に基づく過剰消費行動をとれば,地球資源は枯渇し人類は地球環境の破壊と共に崩壊する,との生物学者ギャレット・ハーディンスさんの警告です。

コモンズの悲劇に対しては,反コモンズの悲劇として過少消費の問題も指摘されますので,中高生の皆さんは自分で調べて自分の考えを持てるようになって欲しいと思うのです。

「僕富論」は浜矩子同志社大大学院教授が言われますが,僕富とは「自分(僕)さえ良ければ」の考えとのことだそうです。

トランプ米大統領はアメリカ第一を主張されていますが,浜教授が言われる僕富論でないことを願うばかりです。

浜教授は僕富論の対極として「君富論」も展開されますが,僕も君も共に富むことができる「共富論」はなりたつのか,皆さんはどのように考えますか。

日本は,明治維新時には「富国強兵」を国家の指針として,帝国主義下の植民地獲得競争に参加していきました。

国政に参加していた頃,目指すべき国の姿を「富民優国」と考えたりしましたが,有限の地球資源のなかで全ての国と民はどうしたら心豊かな生き方ができるのか与に考えたいと思います。

平成29年5月31日

塾長 倉田榮喜

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H29.6.9

資本主義は投資した資本が利子を産むことが不可欠ですから,資本は利子を生む「コモンズ」を求めて,より遠くにより早くにより効率的に利益を得ようとして他の資本と競争します。

帝国主義下での植民地獲得競争は,未開の土地と資源を獲得する侵略戦争を引き起こしましたが,未開の土地や資源からの利益が限界になると,資本は内部資源たる労働費を削減し遂には空間や時間さえも利益の「コモンズ」とするシステムを創出し,未来の資源からさえも利益を得ようとするのです。

地球は万物共生の自然の摂理の下で生命が循環されており,人類は相互扶助・相関連帯の地球の中でその命が保たれています。

しかし,資本主義が際限なく資源の獲得と開発を継続すれば,やがて地球の有限の「コモンズ」を食い尽し,地球は絶滅への時を刻み続けることになるのではないかと危惧されるのです。

これを防止するには資本主義の制限とルールが必用であり,資本家には客観的な自律が要求されなくてはならないのです。

資本主義が国家を越えて共通ルールを作れないとすれば,人類は相互扶助という集団の本質に立ち返って,利子を産まない資本を供出する等,将来の世代に地球の資源と環境を引き渡すことを前提とする循環のシステムを考えなくてはなりません。

資本が利子を得る為に個人の尊厳をないがしろにし,命の住処である万物共生の地球が「絶滅誌」を刻むことがあってはならず,人にはこれを阻止する生き方が求められるのです。

                              平成29年6月9日

                     塾長 倉田榮喜

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H29.6.30

国の旧字体である國は,口(領土)の内で戈(武器)が口(食糧を食べる人口)と一(食糧を産出する土地)を守る形です。いわば國の戈は,領土内で民と土地を守り,税を徴取するための暴力手段であり,武は戈の具体的行使を止める役割を果たす装置です。

過去には,帝国主義や自律なき資本主義が未開の資源と利権を得ようとして国家を動かし,国家は,武を本来の役割に使用せずに他国を侵略する武力として行使しました。そしてその結果,種の尊厳は全く無視され夥しい万物の命が奪われました。

将来においても,資本主義等によって地球の資源が枯渇し,強国が残された資源のために武力を行使し,または,資源の枯渇で住むべき土地と食糧を失った人々が食糧を得るために戈を持って,貴方が住む土地に侵入してきたら・・・貴方はどうしますか。

この問題は国家だけのものではなく,個人においても利益を求める他者から悪や不善による侵害を受けることは普通に有るのですから,これを何によって防ぐのかその対応を備え置くことは不可欠なのです。

戈や武力による侵入に対して,戈を止める武力を持たずにこれを防ぐ方法が存在するのか,そのような方法は存在せず防衛のために武力が必用だとしたらどのように武力を持ったらよいのか。

現実的に,人は悪や不善からの侵害に対する防御力として,まずは心と身体を鍛錬する必要があると思わざるをえないのです。

皆さんは,国家の防衛や自分の防御についてどのように考えますか。立志学舎で与に議論ができたらと願っています。

                  平成29年6月30日

                     塾長 倉田榮喜

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H29.7.11

石渡博明先生が,平成24年に自然食通信社から出版されている「いのちの思想家 安藤昌益」を読んで心に問うことが多くありました。現在の社会の有様について多くのことを考えることができる本ですので,中高生の皆さんに読んで戴きたい一冊です。

昌益先生の思想の一部を石渡先生の本から引用させて戴きますと,昌益先生は,釈迦を批判し,儒教で聖人とされる堯帝や舜帝から孔子をも批判されるのです。

釈迦に対する批判は,「親子は・・・人倫相続の本、世界建立の根であり」「家族は社会の最も基本的な単位であり,それを破壊しておいて何が仏道修行といえるのか」,その仏道修行は「不耕盗食」の寄生生活ではないかとし,堯帝,舜帝や孔子等の儒教の聖人に対しては,「人々は聖人の教えを受けたりしなくても生命力の発露,環境への適応力,村落共同体の絆によって平和で平等な生活を築いてきた」のであって,聖人による「恩恵下賜的な歴史観は内発的発展という人類史の事実に反し」「人々の共有財産である土地と人々を私物化し」「口説を以て・・・衆人を誑かし」「衆人の直耕の辛苦を省みず責め取る」ものとし,その「搾取と支配の贅沢」を「不耕貪食」と告発されます。さらに,「君子と云うは道盗みの大将」「帝・聖と云うは強盗の異名なり」と糾弾します。そして,差別なき世界として「自然の世」を唱え神羅万象の自然の世は「自り然る」等として,「直耕」すなわち「自ら耕す世」でなければならないとされるのです。

現代に生きる中高生の皆さんは,この昌益先生の思想をどう受け止めますか。

平成29年7月11日

塾長 倉田榮喜

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H29.7.31

「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」という本があります。

2012年,南米ウルグアイのムヒカ大統領(当時)が,リオデジャネイロで開催された国際会議で,生き方や幸福についてスピーチされて世界の多くの人々に感銘を与えました。

大統領は言います。「目の前にある危機は地球環境の危機ではなく、わたしたちの生き方の危機です。」と。

大統領は言います。「社会が発展することが、幸福をそこなうものであってはなりません。発展とは、人間の幸せの味方でなくてはならないのです。」と。

自然の循環を生活の基本リズムとして生きた縄文時代の人々と,資本主義下の近代工業社会で,資本の利益と生活のために昼も夜も働き続ける現代の人々とを比べて,現代人の幸せは縄文時代より発展したといえるのか,考えてみる必要はないでしょうか。

ムヒカ大統領は,「人と人とが幸せな関係を結ぶこと、子どもを育てること、友人を持つこと、地球上に愛があること,こうしたものは、人間が生きるためにぎりぎり必要な土台です」とスピーチされたのですが,資本主義に基づく近代工業社会は文明の利器を発展させる一方で,自然環境のみならず人間が生きる必要な土台をも壊してはいないかと立ち止まる必要はないでしょうか。

皆さんが求める価値が「幸せ」である場合に,その幸せは,現在の資本主義システムで得られているものと同じでしょうか。

二度とない人生において,「求めるべき幸せと」は何か,皆さんはどのように考えて自分の人生を生きていきますか。

平成29年7月31日

塾長 倉田榮喜