Category: コラム

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H29.8.10

資本主義によって地球資源が枯渇し,地球環境が絶滅の誌を刻んでいるかもしれない時に,これを阻止する行動が必用とされるのは人であり,社会における一人一人の生き方です。

そして,ムヒカ大統領(当時)の指摘にもあるように,地球環境の危機よりも人類の生き方の方が危機なのだとすれば,地球環境の絶滅を招く生き方や生きる土台を壊すような生き方を変える必要があります。

では,具体的には何をどのように変えなければいけないのか。

第一に,水野和夫法政大教授が主張されるように資本主義による利子を追求する価値観を見直し「より近く,よりゆっくり,より寛容に」生きられる社会に変えることはできないのでしょうか。

第二に,地球資源は現世代だけではなく未来の世代のものであるという原理を確立した消費に変えることはできないでしょうか。

第三に,自己中心的な我欲に基づく僕富論に客観的自律を科すことによって,僕富論を制御することはできないでしょうか。

二度とない人生で何を追及するのか,その追及するものが自分の自と分に適うかどうか,権力や冨を追及することが人生の目的となるかどうか,相互扶助や相関連帯という集団の基盤や生きる上での土台となる家族と友人や他者を思いやる気持ちを失ったらどうなるのか,皆さんに真剣に考えて欲しいと思うのです。

二度とない人生で最も大切な事は,自分の自(個性)と果たすべき分(使命)を誠実に果たして,臨終の際には自分は幸せだったと感謝し,その死を他者から惜しまれることだと思うのです。

平成29年8月10日

塾長 倉田榮喜

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H29.8.31

人生の臨終において,どのように生きたら自分の人生は幸せだったと思えるのか,その死を他者が惜しんでくれるのか,皆さんが「どのように人生を生きるか」という生き方の根本問題です。

「人生二度なし」は例外のない真理ですが,何人であれ人がこの世に生を受けてから「死に向かって生きる」こともまた例外のない真理であって,生から死に向かって進む一刻一日は,誰であれ後戻りすることのできない時間です。

では,人生において後戻りしない時間をどう生きたら,自分の人生は幸せだったと思え,その死を他者が惜しんでくれるのか。

一に,人生において因果は応報であり,生から死に向かっての「生き方における因果の総決算」が臨終の有様を決めると覚悟することがまず必要です。

第二に,臨終の際に自分は幸せだったと思えるかどうかは,二度とない人生で,自分の「自」(個性)を活かして,その「分」(役割)を誠実・勤勉に果たしたかどうかに由るのです。

皆さんが社会で与えられた自分の役割を誠実に勤勉に務めれば,自分の人生は幸せだったと思えないわけがないのです。

第三に,その死を他者が惜しんでくれかどうかは,他者と世の中のためにどれだけ多く「心と体と時間とお金」を使ったかに縁るのだと思うのです。

二宮尊徳翁は,誠実に勤勉に務めた自身への報酬であっても,そのお金は自分だけの為に使ってはならず,「分度を計り他への推譲」が不可欠だと言われることを与に学びたいと願っています。

                  平成29年8月31日

                     塾長 倉田榮喜 

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H29.9.11

「分を知れ」とか「恩を忘れるな」とか言われると,自分を固定されるような気がしたり,恩を押し付けられるように感じたりして,意識的に反発していた頃がありましたが,「分を知ること」も「恩を忘れないこと」も,人生を生き抜きその人生を真正にするためには不可欠なことだと考えられるのです。

人類を含めて,万物が共生する地球生命体の根源価値が「種の尊厳」であると考えていることは既に述べました。

この「種の尊厳」を根本において,人類の命の源に遡ることを「大孝」とするところですが,そのうえで,中江藤樹先生が「万事万物の道理」とされた「孝」は,親子の血脈と家族の絆を具体的に表すものであり,そして,人の集団が原則的に家族の群によって成り立っていることから社会集団の基本価値なのです。

「恩」については,「国の恩」,「師の恩」,「親の恩」と言ったりしますが,人は誰であれこの三恩の中で生かされているのであって,社会集団では一人だけで生きているのではないのですから,三恩に対する感謝の念を持ち続けることは,人生を生き抜き人生を真正に生きるために必要だと言うほかないのです。

「大謝」は,その三恩全部に対する感謝を示すものですが,この大謝を具体的な行動で示すのが個人の分に応じた「奉仕」で,奉仕は,集団の本質である相互扶助に必要不可欠な行動なのです。

故に,「孝」を中心とする価値観に基づいて,三恩に対する大謝を,自分の「分」に応じた「奉仕」として具体的な形で実践していくことこそが,人生の真正な生き方につながるのです。

平成29年9月11日

塾長 倉田榮喜

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H29.9.29(2)

奉仕は,相互扶助・相関連帯を基本とする人の集団に不可欠な行動であり,親の恩を始めとする三恩に対する大謝を具体的な行動として示すものです。

奉仕の意味は,奉仕という行動の意義から考えればどのような行動であれ社会に資し他者への助けになる「善い事」は全て奉仕といってよいのだと考えるところです。

世の中の役に立つ事業と仕事は社会への奉仕であり,寄附は奉仕であり,何かの順番を他者に譲ることも奉仕です。いわば「社会と他者に善い事をする行為」は全て奉仕と言ってよいのだと思います。

自分の事業や仕事は,社会や他者に有用である限りその成果は社会や他者を資するのですから,事業や仕事がさらに有用になるよう務めることはより一層の奉仕ということができます。

自分の智慧や知識と身体を社会と他者のために使うことも奉仕です。災害等で智慧と知識や労働の力が社会や他者に必要とされているときに,これに応じることは大切な奉仕です。

事業や仕事の報酬として得たお金であっても,その使い方は分度が求められ,生活のために必要なお金以外は将来と社会や他者の為に分度して推譲することが必用とされるのだと考えます。

問題は,生活と家族の将来に必要な分と社会や他者への奉仕との関係をどのように「分度」したらよいのか,ということです。

二宮尊徳翁が残された分度の基準と推譲の心を学ぶことが有用ですが,まずは,自分の「自」を活かし与えられた「分を」を誠実に務め果たすことから人生における奉仕は始まるのです。

平成29年9月29日

塾長 倉田榮喜