Archive: 2016.04

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 熊本の地は,4月14日21時26分にM6.5,同16日1時25分にM7.3の地震があり,甚大な被害を受けました。

 熊本の人々は,この地震によって多く犠牲となり,建物は損壊して避難生活を余儀なくされました。

 先日入学式に参列させて戴いた一新小学校は避難所となり,私も避難させて戴きましたが,校長先生や職員の皆様方,校区の自治会の皆様方のお支えの下で,8日間の避難生活を過ごさせて戴きました。

 地震が自然の摂理である以上,人類を含む総ての生命体は抗すべき途を持たないと思います。この自然の摂理について,正義とは何かについて,塾生の皆さんと考えることが出来たらと思いました。

 避難された皆さんは,食事や給水について落ち着いて並ばれ,お互いに譲り合う姿もありました。避難所の入口に置かれた靴を揃える姿も見られました。

 立志学舎では,二宮尊徳翁が説かれた「推譲」の論を深めたいと思っていますが,翁が説かれた推譲は,経済分野のみならず人生の生き方の極意として重要であることを避難所でも感じました。時や場合によっては,譲ることの困難さに直面することはあると思いますが, これから人生を生きる中高生の皆さんは,出来るだけ多く譲ることの出来る強さを持った懐深い人になって欲しいと願うところです。

                  平成28年4月27日

                    塾長 倉田栄喜

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 この春,地元の一新小学校と西山中学校の卒業式と入学式に参列させて戴きました。卒業式と入学式の若人達を見ながら,彼らが自分の「自」を活かし,自分の「分」を果たすように成長して欲しいと切に願いました。

 一新小学校の入り口近くに,河上彦斎の生誕を記念する碑が建立されています。この碑の側面には彦斎が我が子彦太郎に詠んだ「ひもかたな とりて伝えむ国のため 吾が生みの子のあらん限りは」の和歌が記されおり,彦斎の子に対する想いを偲びました。

 平成12年9月,立志学舎設立準備記念講演会の案内状に,「この学舎は、立志立誠を基とし、個人の気質の陶冶形成と行動原則の確立を目的としながら、孝を基本とする倫理観、万物一体の共生を基本とする世界観の確立を根底に置きたいと思います。」と書きました。

 中高生の皆さんは,「孝」をどのように考えているのでしょうか。皆さんにとって,親とはどのように位置づけられているのでしょうか。

 親に対する孝を考えながら,「太虚」と「大孝」を思索するところですが,これらを中高生の皆さんと与に深めることができたらと思います。

                 平成28年4月12日

                   塾長 倉田栄喜

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平成12年11月5日,岡田武彦先生をお訪ねし,その後,「鳥獣は與に群をおなじくすべからず。吾斯の人の徒と與にするに非ずして、誰と與にかせん」(微子第十八476)を学びました。

私は,「種の尊厳」を自然界の「根源の価値」と考えますので,鳥獣も人も「種」として同じと思っていますが,「斯の人」と与に学びたいと思いますし,「斯の人」が立志学舎に集ってくださることを願っています。

そこで,立志学舎のホームページを,平成28年4月11日を以て公開することにし,中高生の皆さんに広く立志学舎への参加を呼びかけることにしました。

果たして中高生の皆さんは,このホームページを見てくれるだろうかと心配したりしますが,私は,昭和24年の丑年生まれですので,ゆっくりと根気よく,皆さんに向かって呼びかけを続けながら,時々の思いを綴りたいと思います。

このブログは,私の一方向だけの発言になってしまい申し訳ないと思いますが,自分の「自」や自分の「分」を考えたいと思っている中高生の皆さん!自分をもっと研鑽したいと思っている中高生の皆さん!

立志学舎で,皆さんと与に学びながら双方向の発言を通して,一緒に研鑽を深めたいと思います。

                  平成28年4月11日

                    塾長 倉田榮喜

 

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「人生二度なし」という本には,「人は何のために生きるか」という問題から書かれています。

「あなたは何のために生きていますか」と問われたら,何と答えますか。

森先生は,この本の中で,「人は自分の仕事(職業)を通して多少とも人のため社会のため尽くすところに、その人のこの世に生きる意義はあると考えるようになったのです。」と書かれています。

そして,「結局各自が生まれながらにもって生まれた資質、天分を発揮し、それを実現することを通して、世のため人のために尽くすことにあるというほかはない」と言われるのです。

それでは,皆さんのもって生まれ資質は何か,もって生まれた天分とは何か,これを分かろうとすることが必要です。

私は,「自分」の「自」とは,もって生まれた資質と天分であり,「自分」の「分」とは,自らの資質と天分に応じて,社会のなかにおいて仕事を通じて役割を担うことだと思っています。

さて,皆さんの「分」はどんな「分」でしょうか。其の「分」の中に皆さんの「志」が立てられるように,皆さんと共に「心」の研鑽を積みたいと思います。

塾長 倉田 榮喜

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森信三先生の著書である「人生二度なし」は,平成10年2月に到知出版社から発行されており,皆さんに読んで戴きたい一冊です。

この本に,「人生二度なし」という昭和三六年頃の講演録が附篇として掲載されています。

森先生は,この講演のなかで「人生二度なし」ということが「分かった」のは三五歳の頃であったと話されています。

「知る」と「分かる」とは違うということであり,「分かる」ということは難しいものであることを示すお話だと思います。

森先生が,三五歳の頃に初めて「人生二度なし」ということが分かったとされるのは,「この一念が,明けても暮れても、つねに自分の心の底から離れないようになったというわけです。」とお話されているからです。

皆さんの年代の頃に,「人生二度なし」という真理を知り,このことが常に心の底から離れないようになり,真剣に一日の時間を使うようになったら,皆さんの人生は素晴らしいものになります。

皆さんが,「人生二度なし」という真理を知り,次にこの真理を常に心の底において,毎日を真剣に学び真剣に鍛えて欲しいと願うのです。

塾長 倉田 榮喜