Archive: 2016.09

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19人死亡,27人重軽傷という本年7月の相模原殺傷事件について,「なぜ人を殺してはいけないのか」の答えを示して考えを述べます。

自然界の根源の価値は「種の尊厳」と考えますが,人が人を殺すことは,他者の存在とその種を否定し,人類という種の滅亡にもつながる自然の摂理に反する行為ですから,いけないのです。

人は相互に支え合う社会集団の中で命の営みを行いますが,人が人を殺すことは,人の命の営みの基盤である社会集団の秩序を崩壊させる集団の正義に反する行為ですから,いけないのです。

人の命を代々に遡れば,根源の種である生命体に辿り着き,その生命体が現在の全人類の命につながっています。故に人が人を殺すことは,自身にもつながる命の種を傷つけ,子孫にも余殃を残す孝に反する積不善の行為ですから,いけないのです。

不具合を持って生きることは世の中に不幸の種をまき,関係者を苦しめるだけ等の優生思想は否定されなければならず,これを導くような功利主義も否定されなくてはならないと思います。

自然の摂理は,命の種を次世代に確実に受け継がせる方法として,個々の命に多様な種としての遺伝子を秘めさせているのです。

犠牲となった人も,他の人に代えがたい種の遺伝子を持って,社会という集団のなかで果たすべき「分」を担っていたのであって,社会に生を受けて存在する理由があったのです。

人が人を殺すことは,殺される人の社会での分を奪い,命の種を断絶させる極悪の積不善の行為であることを,強く深く自覚して欲しいと思うのです。

                  平成28年9月30日

                      塾長 倉田榮喜

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自然に存する親は,何処でも何時でも懸命に子の命を守り育てることで,根源の価値が「種の尊厳」に在ることを示しています。

その価値は自然界に生きる全ての種に在り,その自然界は人類のものではなく,人は人だけでは命を繋ぐこともできないのです。

自然の摂理は,万物に適用される根本規範で地球に存する「生命の種」を次世代に循環させる自然界のリズムです。

横井小楠翁の「天理は万物の和にあり」との言葉のように「万物の和」を創造する根本の規範ではありますが,人類を中心にする規範では決してないのです。

皆さんの命の誕生を,両親,祖父母と遡れば,その究極の命は根源の種としての生命体となり,この根源の生命体が自然の摂理の中で生成されて,今日の皆さん一人一人の命となっています。

私は,人の生命を根源まで遡ることを「大孝」としますが,大孝は人類の命とエネルギーの根源を意味し,種の尊厳を根源の価値とすることにつながると思う一人です。

人類を含む全ての生命体は,自然の摂理に抗することはできないのですが,それは,自然の摂理が万物の和を創造し,生命の種を次世代へと循環させているからにほかなりません。

自然の摂理において,植物が種から苗となり実をつけその実が種となることを繰り返すように,人生においては,幸せの種としての「善」を播き続けることが大切だとも思うのです。

ところで,皆さんが心に思う幸せの種とは何ですか。立志学舎で与に学ぶことができるように願っています。

                   平成28年9月10日

                     塾長 倉田榮喜