Archive: 2016.12

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正議論 (2)

普遍の正義はどのような正義なのか,国家の正義を普遍の正義と言うことができるのかどうかを考えてみます。

第一に,普遍の正義は,自然の摂理に収まることを明理とし,自然の摂理には反しない正義です。

自然の摂理と普遍の正義の関係は,自然の摂理を大円とした場合に,普遍の正義は,自然の摂理の大円の範疇に収まるものでなくてはならないのです。

第二に,普遍の正義と個人の自律の関係です。普遍の正義は,個人の客観的自律を包含しこれを融合する正義です。

国家の正義が自然の摂理に収まらず,個人の客観的自律が国家の正義に含まれないと,国の統治は不安定になります。

国家の正義が個人の客観的自律を含むとすれば,国家の正義は,その国の歴史・伝統・文化をふまえた垂直・水平的正義にならざるを得ないのです。

その場合,国家毎に歴史・伝統・宗教・文化が異なれば,国家の正義は国毎に異なるのが当然ということになり,その結果,国毎に異なる正義が存在することになりますので,国毎に異なる国家の正義を普遍の正義と呼ぶことはできなくなります。

国家と国家の正義が国毎に異なり,これに国益の問題が絡めば,国家間の正義と正義が衝突して国際紛争が生じます。

では,国家と国家の正義の衝突をどのように解決したらよいのか,国家と国家の正義を融合する普遍の正義を求めることで解決できるのかどうか,皆さんはどう考えますか。

皆さんの明けての年が良い年となり,そして,立志学舎でお会いできることをお待ちしています。

平成28年12月26日

塾長 倉田榮喜

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これからの「正義」の話をしよう

統治者の支配を正当化する正義は,どのような内容を持てば普遍的な正義となり,統治は安定したものになるのでしょうか。

そこで,「正義とは何か」について,正義の「判断基準」を考えてみたいと思います。

正義についての3つの考え方を比較してみます。①功利性や福利を最大限にすること(最大多数の最大幸福)②選択の自由と人権の尊重(自由市場主義と個人の尊厳)③美徳の涵養と共通善(美徳を育み,善き生に基づいて判断すること)の3つです。

この3つについて,①を統治者的正義②を人権的正義③を共同体的正義と位置付けることができるとすれば,①は個人の尊厳に薄く,②は集団が持つべき相互扶助の本質に薄いように思えます。

①の功利性や福利による幸福を統治者が判断するとすれば,少数者の幸福と一致しないことがあり,②の個人の尊厳と市場主義はヒトが人となり相互に助け合うという集団が持つ本質的機能を損なうことがあると思うからです。

そこで,①と②の薄さを補う③の立場を基本としながら考えられる正義は,集団が持つべき相互扶助を前提として歴史と伝統を踏まえた個人の客観的自律が尊重される正義です。

①と②の正義を同時代に生きる人々の間の水平的正義,③の正義を過去から現在までの歴史・伝統・自律を含んだ垂直・水平的正義としこれを縦横の正義と考えるところです。

皆さんは,正義とその判断基準をどのように考えていますか,立志学舎で与に学ぶことができることを願っています。

平成28年12月12日

塾長 倉田榮喜