Archive: 2017.05

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自然はだれのものか

コモンズとは共有地のことで「コモンズの悲劇」は,「牛が放牧される牧草地で一人が自己の利益を増やす目的で牛の頭数を増やせば他の共有者も牛の頭数を増やし,結果,牧草は草の再生前に食い尽くされてしまう」と説明されます。

コモンズの悲劇は,地球コモンズのメンバーである人類が自己中心的な我欲に基づく過剰消費行動をとれば,地球資源は枯渇し人類は地球環境の破壊と共に崩壊する,との生物学者ギャレット・ハーディンスさんの警告です。

コモンズの悲劇に対しては,反コモンズの悲劇として過少消費の問題も指摘されますので,中高生の皆さんは自分で調べて自分の考えを持てるようになって欲しいと思うのです。

「僕富論」は浜矩子同志社大大学院教授が言われますが,僕富とは「自分(僕)さえ良ければ」の考えとのことだそうです。

トランプ米大統領はアメリカ第一を主張されていますが,浜教授が言われる僕富論でないことを願うばかりです。

浜教授は僕富論の対極として「君富論」も展開されますが,僕も君も共に富むことができる「共富論」はなりたつのか,皆さんはどのように考えますか。

日本は,明治維新時には「富国強兵」を国家の指針として,帝国主義下の植民地獲得競争に参加していきました。

国政に参加していた頃,目指すべき国の姿を「富民優国」と考えたりしましたが,有限の地球資源のなかで全ての国と民はどうしたら心豊かな生き方ができるのか与に考えたいと思います。

平成29年5月31日

塾長 倉田榮喜

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H29.5.11

個人においての正義は,人生で求める価値を追及する行動規範となります。皆さんは, 個人の正義として追求する価値として,①幸福②自由③美徳と善,のうち何を主として求めますか。

皆さんには,集団の基盤は相互扶助と相関連帯にあり,自然は万物共生の生命体の循環であることを根底に置いて,求める正義を追及して欲しいと願っています。そして,皆さんが正義を追及するなかで,正義と善悪とはどのような関係なのか,そもそも善とは何か,悪とは何なのかも考えて戴きたのです。

私は,善とは自然の摂理の下で命を尊び癒す行為であり,悪とは自然の摂理を無視して命を軽んじ傷つける行為で人類が長い時間の中で築いてきた共通の善を損なう行為であると考えています。しかし,国家には,国家が求める価値を追及するために時には善を無視し悪さえも利用してきた酷い史実があります。

国家の正義が仮に善悪を超えて存在するとしても,個人の正義は善に適うものして追及すべきあって,個人の正義に基づく行動は善に適い悪を認めないものであるべきだと思うのです。

そして,個人の正義として善に適う行動を追及するためには,自分を律する内なる規範としての客観的規律が必要となるのです。

皆さんには,個人の正義が集団の中で影響力を持つようになる為に,我欲や一時的な感情を抑制できる知性を身につけ,嘘をつかない,責任を転嫁しない,命を傷つけない等自分の成長と知性の習得に応じた内なる客観的規律を保ち,個人の正義と善とを集団の中に求めて外なる行動の規範として欲しいと願うのです。

                  平成29年5月11日

                     塾長 倉田榮喜