Archive: 2017.06

最終更新:

H29.6.30

国の旧字体である國は,口(領土)の内で戈(武器)が口(食糧を食べる人口)と一(食糧を産出する土地)を守る形です。いわば國の戈は,領土内で民と土地を守り,税を徴取するための暴力手段であり,武は戈の具体的行使を止める役割を果たす装置です。

過去には,帝国主義や自律なき資本主義が未開の資源と利権を得ようとして国家を動かし,国家は,武を本来の役割に使用せずに他国を侵略する武力として行使しました。そしてその結果,種の尊厳は全く無視され夥しい万物の命が奪われました。

将来においても,資本主義等によって地球の資源が枯渇し,強国が残された資源のために武力を行使し,または,資源の枯渇で住むべき土地と食糧を失った人々が食糧を得るために戈を持って,貴方が住む土地に侵入してきたら・・・貴方はどうしますか。

この問題は国家だけのものではなく,個人においても利益を求める他者から悪や不善による侵害を受けることは普通に有るのですから,これを何によって防ぐのかその対応を備え置くことは不可欠なのです。

戈や武力による侵入に対して,戈を止める武力を持たずにこれを防ぐ方法が存在するのか,そのような方法は存在せず防衛のために武力が必用だとしたらどのように武力を持ったらよいのか。

現実的に,人は悪や不善からの侵害に対する防御力として,まずは心と身体を鍛錬する必要があると思わざるをえないのです。

皆さんは,国家の防衛や自分の防御についてどのように考えますか。立志学舎で与に議論ができたらと願っています。

                  平成29年6月30日

                     塾長 倉田榮喜

最終更新:

H29.6.9

資本主義は投資した資本が利子を産むことが不可欠ですから,資本は利子を生む「コモンズ」を求めて,より遠くにより早くにより効率的に利益を得ようとして他の資本と競争します。

帝国主義下での植民地獲得競争は,未開の土地と資源を獲得する侵略戦争を引き起こしましたが,未開の土地や資源からの利益が限界になると,資本は内部資源たる労働費を削減し遂には空間や時間さえも利益の「コモンズ」とするシステムを創出し,未来の資源からさえも利益を得ようとするのです。

地球は万物共生の自然の摂理の下で生命が循環されており,人類は相互扶助・相関連帯の地球の中でその命が保たれています。

しかし,資本主義が際限なく資源の獲得と開発を継続すれば,やがて地球の有限の「コモンズ」を食い尽し,地球は絶滅への時を刻み続けることになるのではないかと危惧されるのです。

これを防止するには資本主義の制限とルールが必用であり,資本家には客観的な自律が要求されなくてはならないのです。

資本主義が国家を越えて共通ルールを作れないとすれば,人類は相互扶助という集団の本質に立ち返って,利子を産まない資本を供出する等,将来の世代に地球の資源と環境を引き渡すことを前提とする循環のシステムを考えなくてはなりません。

資本が利子を得る為に個人の尊厳をないがしろにし,命の住処である万物共生の地球が「絶滅誌」を刻むことがあってはならず,人にはこれを阻止する生き方が求められるのです。

                              平成29年6月9日

                     塾長 倉田榮喜