Archive: 2017.08

最終更新:

H29.8.31

人生の臨終において,どのように生きたら自分の人生は幸せだったと思えるのか,その死を他者が惜しんでくれるのか,皆さんが「どのように人生を生きるか」という生き方の根本問題です。

「人生二度なし」は例外のない真理ですが,何人であれ人がこの世に生を受けてから「死に向かって生きる」こともまた例外のない真理であって,生から死に向かって進む一刻一日は,誰であれ後戻りすることのできない時間です。

では,人生において後戻りしない時間をどう生きたら,自分の人生は幸せだったと思え,その死を他者が惜しんでくれるのか。

一に,人生において因果は応報であり,生から死に向かっての「生き方における因果の総決算」が臨終の有様を決めると覚悟することがまず必要です。

第二に,臨終の際に自分は幸せだったと思えるかどうかは,二度とない人生で,自分の「自」(個性)を活かして,その「分」(役割)を誠実・勤勉に果たしたかどうかに由るのです。

皆さんが社会で与えられた自分の役割を誠実に勤勉に務めれば,自分の人生は幸せだったと思えないわけがないのです。

第三に,その死を他者が惜しんでくれかどうかは,他者と世の中のためにどれだけ多く「心と体と時間とお金」を使ったかに縁るのだと思うのです。

二宮尊徳翁は,誠実に勤勉に務めた自身への報酬であっても,そのお金は自分だけの為に使ってはならず,「分度を計り他への推譲」が不可欠だと言われることを与に学びたいと願っています。

                  平成29年8月31日

                     塾長 倉田榮喜 

最終更新:

H29.8.10

資本主義によって地球資源が枯渇し,地球環境が絶滅の誌を刻んでいるかもしれない時に,これを阻止する行動が必用とされるのは人であり,社会における一人一人の生き方です。

そして,ムヒカ大統領(当時)の指摘にもあるように,地球環境の危機よりも人類の生き方の方が危機なのだとすれば,地球環境の絶滅を招く生き方や生きる土台を壊すような生き方を変える必要があります。

では,具体的には何をどのように変えなければいけないのか。

第一に,水野和夫法政大教授が主張されるように資本主義による利子を追求する価値観を見直し「より近く,よりゆっくり,より寛容に」生きられる社会に変えることはできないのでしょうか。

第二に,地球資源は現世代だけではなく未来の世代のものであるという原理を確立した消費に変えることはできないでしょうか。

第三に,自己中心的な我欲に基づく僕富論に客観的自律を科すことによって,僕富論を制御することはできないでしょうか。

二度とない人生で何を追及するのか,その追及するものが自分の自と分に適うかどうか,権力や冨を追及することが人生の目的となるかどうか,相互扶助や相関連帯という集団の基盤や生きる上での土台となる家族と友人や他者を思いやる気持ちを失ったらどうなるのか,皆さんに真剣に考えて欲しいと思うのです。

二度とない人生で最も大切な事は,自分の自(個性)と果たすべき分(使命)を誠実に果たして,臨終の際には自分は幸せだったと感謝し,その死を他者から惜しまれることだと思うのです。

平成29年8月10日

塾長 倉田榮喜