Archive: 2017.09

最終更新:

H29.9.29(2)

奉仕は,相互扶助・相関連帯を基本とする人の集団に不可欠な行動であり,親の恩を始めとする三恩に対する大謝を具体的な行動として示すものです。

奉仕の意味は,奉仕という行動の意義から考えればどのような行動であれ社会に資し他者への助けになる「善い事」は全て奉仕といってよいのだと考えるところです。

世の中の役に立つ事業と仕事は社会への奉仕であり,寄附は奉仕であり,何かの順番を他者に譲ることも奉仕です。いわば「社会と他者に善い事をする行為」は全て奉仕と言ってよいのだと思います。

自分の事業や仕事は,社会や他者に有用である限りその成果は社会や他者を資するのですから,事業や仕事がさらに有用になるよう務めることはより一層の奉仕ということができます。

自分の智慧や知識と身体を社会と他者のために使うことも奉仕です。災害等で智慧と知識や労働の力が社会や他者に必要とされているときに,これに応じることは大切な奉仕です。

事業や仕事の報酬として得たお金であっても,その使い方は分度が求められ,生活のために必要なお金以外は将来と社会や他者の為に分度して推譲することが必用とされるのだと考えます。

問題は,生活と家族の将来に必要な分と社会や他者への奉仕との関係をどのように「分度」したらよいのか,ということです。

二宮尊徳翁が残された分度の基準と推譲の心を学ぶことが有用ですが,まずは,自分の「自」を活かし与えられた「分を」を誠実に務め果たすことから人生における奉仕は始まるのです。

平成29年9月29日

塾長 倉田榮喜

最終更新:

H29.9.11

「分を知れ」とか「恩を忘れるな」とか言われると,自分を固定されるような気がしたり,恩を押し付けられるように感じたりして,意識的に反発していた頃がありましたが,「分を知ること」も「恩を忘れないこと」も,人生を生き抜きその人生を真正にするためには不可欠なことだと考えられるのです。

人類を含めて,万物が共生する地球生命体の根源価値が「種の尊厳」であると考えていることは既に述べました。

この「種の尊厳」を根本において,人類の命の源に遡ることを「大孝」とするところですが,そのうえで,中江藤樹先生が「万事万物の道理」とされた「孝」は,親子の血脈と家族の絆を具体的に表すものであり,そして,人の集団が原則的に家族の群によって成り立っていることから社会集団の基本価値なのです。

「恩」については,「国の恩」,「師の恩」,「親の恩」と言ったりしますが,人は誰であれこの三恩の中で生かされているのであって,社会集団では一人だけで生きているのではないのですから,三恩に対する感謝の念を持ち続けることは,人生を生き抜き人生を真正に生きるために必要だと言うほかないのです。

「大謝」は,その三恩全部に対する感謝を示すものですが,この大謝を具体的な行動で示すのが個人の分に応じた「奉仕」で,奉仕は,集団の本質である相互扶助に必要不可欠な行動なのです。

故に,「孝」を中心とする価値観に基づいて,三恩に対する大謝を,自分の「分」に応じた「奉仕」として具体的な形で実践していくことこそが,人生の真正な生き方につながるのです。

平成29年9月11日

塾長 倉田榮喜