Archive: 2017.10

最終更新:

H29.10.31

集団を構成する全員が賜生を自覚して,集団と他者への奉仕を使命として人生を生きるのであれば,「悪」とか「我欲」とかいう行為は少なくなると思いますが,現実は悪と呼ぶべき行為が跋扈し,我欲のために人生の総決算である臨終を悲惨なものにしてしまうことは,世の中で普通にみられることです。

ではどうして,社会に悪が跋扈し,人に我欲が有るのか!

ヒトは躾で人になり礼を身に付けることによって集団で生きる摩擦を少なくし,志を持つことによって社会の中で分としての奉仕を果たすことができるようになります。

しかし,ヒトは躾によって人になってもなお動物の本性を持ち,躾も礼も身に付けなければ野生動物のままです。その動物には他を食い殺してでも生き残ろうとする生命保持の本能があり,この本能は自らが生き残るためには他を傷つけることも躊躇しない性質を持つと考えられます。

すなわち,悪とは,自らが生き残るためには他をも犠牲にするという動物的本能を根源とし,我欲もその根源の本能から生じるのだとすれば,悪と我欲の存在を否定することはできないのです。

一方で,動物は,種を維持し子孫を次の世代に残すために子を育て慈しむという本能を有しますが,この子を育て慈しむという動物的本能が善の根源だと考えられるのです。

平成29年10月31日

塾長 倉田榮喜

最終更新:

H29.10.11

人生を生きる上で必要な奉仕は,社会と他者と共に自己をも資する行為で,相互扶助・相関連帯の人の集団には不可欠な行動です。

ところで,貴方が自分の自を活かしその分を誠実に勤勉に果たすことは,社会と他者に対する奉仕の一歩でもありますが,それは貴方に与えられた使命とも言えるのです。

森信三先生は「賜生」という言葉を残されていますが,貴方が自然界に生を受け,現世に生を賜ったのは人の世で果たすべき使命を貴方が与えられたからにほかならないのです。

貴方はどうして両親の子としてその環境の下に生まれたのか,自ら誓願して両親の下に生まれたという考え方を含めても,今いる環境で人の世に生を受けたのは,その環境の下で分に応じた使命を果たすために命を賜ったと思うのです。

では,貴方が賜った命はこの世でどんな使命を与えられたのか!

この大事がわかるためには,貴方が今いる環境の中で勉学と鍛錬に努めて,自分の個性である「自」と果たすべき役割である「分」を求め続ける強い「思い」が必用です。

貴方がまず受け入れる必要があるのは今いる環境であり,実行すべきはその環境の中で自分の自と分を如何に発揮するかという日々の錬磨であり,自身の人格をどう形成するかという強い思いを持って勉学と鍛錬に努めるほかはないのです。

自分が生まれた環境を嘆かず,他者の才能を羨まず,自身の環境下で日々工夫して勉学と鍛錬に勉めて欲しいと願っています。

平成29年10月11日

塾長 倉田榮喜