Archive: 2018.07

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平成の時代が終わり新しい元号の時代が始まろうとしています。

新元号の新時代がよりよく平穏な時代であるように,「誠実・勤勉・分度・推譲」という二宮尊徳翁の徳目がより多くの人々の共通認識となるように命を使いたいと思っています。

しかし,人世を円滑にする徳目が必要としても,人類を含め万物の生命は大自然の摂理の下にあることは避けようがありません。

平成7年の阪神・淡路大震災,平成23年の東日本大震災,平成30年の西日本豪雨等,これらに続く新元号の新時代も高い確率で発生すると予測される千島海溝,日本海溝,東北地方太平洋沖,相模トラフ,南海トラフ等の地殻変動による大地震や大津波等の大災害に対する備えが不可欠である事に異論はないはずです。

二宮尊徳翁は,60年に一度は大災害に遭うとされ食糧の備蓄を呼びかけられましたが,日本の首都と経済や生産の中心地が大地震や大津波に襲われて壊滅的状態になった場合を想定し,その機能をバックアップする予備機能基地と食糧備蓄基地の構築や被災された人々を受け入れる避難地の確保が必要です。

しかし,日本政府においてこれらの大災害への準備がなされているという報道に接することはなく,予備機能基地と食糧備蓄基地や避難地の建設等に必要な資金を準備する為の増税の呼びかけも永田町や霞が関からは聞こえてきません。

政府がそうであれば,自分が住む地域の危険性を直視して,家族・仲間・地域との絆をより強固にして,「大災害の時代」にどう対応するかを自助と互助とで準備する必要がある新元号の新時代です。

平成30年7月31日

塾長 倉田榮喜

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地球に生存する万物は,その命を次世代に繋ぐ為に智慧を絞って生き残りを図ります。

万物の中でも人類は,命を前世代から次世代に受け継がせるときにその命と共に,前世代が習得した生き残りの智慧と集団生活を円滑にするための倫理も次世代へと受け継がせるのです。

祖先が前世代までに修得し次世代に受け継がれる倫理を縦軸(伝統的倫理)とし,同世代の中での合意的倫理を横軸(時代的倫理)としたときに,伝統的倫理と時代的倫理との調和はどのようにはかればよいのかを考えてみたいと思います。

岡田武彦先生の語録「陽明学つれづれ草」には,「倫理には、縦のものと横のものがある。上下と左右がある。しかし、上下が基本で、それから左右が考えられるのが人情の自然である。しかるに、近年は逆になっている。現時の青少年の非行は、ここに原因することが多い。」とされます。

岡田先生の縦(上下)の倫理を伝統的倫理,横(左右)の倫理を時代的倫理と考えるとしたら,倫理の側面においては,伝統的倫理(縦軸)を主とし,時代的倫理(横軸)を従とすることが基本なのだと考えます。

では,政治的側面で伝統主義はどのように機能すべきなのか。

政治的決定を行うのは横の世代である現世代で,決定はその時代の民主的多数でなされますが,少なくとも決定に参加する個々人は,前世代から引き継いだ伝統の持つ重みを良く考えて,決定の意思表示を行なわなくてはならないと思っています。

平成30年7月11日

塾長 倉田榮喜

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動物であるヒトは,最初は命の種を繋ぐ家族に収穫した食べ物を分け与え,次に大きく強い動物を狩るために仲間を組織して獲た獲物を分配することで人となり,その後次第に集団生活の経験の中で他者に譲ることを学習して人間になるのだと思っています。

個々の動物は所有と独占の本能を持っていますが,人は個々ではなく集団として纏まることで,他の動物との生存競争に勝ち残ることを覚え,そして人と人とが交わる集団生活のなかで,他者に対する「推譲」という行為が集団の秩序と生活を安定させるという智慧を持てるようになったのだと思うのです。

しかし,いまだ世界の現実における資本主義体制下では,制限なき自由競争の中で富の寡占と独占が進み,資本が無制限に利を求め続ける結果として貧富の差は漸進的に拡大し,日本の昭和の時代に多数の人が意識した「中産階級」の層は小さくなるばかりです。

地球の資源は有限であるのに,資本がさらに利子を求め続ければ,遂には,将来世代に残すべき地球の資源どころか人間の命の時間までも奪ってしまうことになるのだと危惧するところです。

二宮尊徳翁は一家の廃絶について,「夫れ孫右衛門の家、天明度の凶飢に当たり汝が家財に富めるを以て弥々救助の心なく,高価に粟をひさぎて独り利を専らにし、益々富をなせり。天之を悪み鬼神之を捨てむ。一家の廃絶この時に作れり。」と警告されます。

この言葉の意味をどのように考えるにしても,「積善の家に余慶あり、積不善の家に余殃あり」とは,長い歴史の検証結果として人間が得た智慧なのだと思っています。

平成30年7月2日

塾 長 倉田榮喜