Archive: 2018.11

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義とは,天理である真と萬物調和の仁に適合することであり,歪みなき正直な心と知勇の力を以て,他者の命を癒し他者の苦しみに同苦し他者の救済に自分の命を使う事と考えるところです。

大原幽学先生(1797年~1858年)は,江戸後期の農村指導者として香取郡長部村(現在の千葉県香取郡干潟町)で孝道と性学を説き,農地整理や現在の農業組合ともいうべき「先祖株組合」を結成して廃村寸前の集落を再興させた義の実践者ですが,当時の特別警察ともいうべき関東取締出役(通称八州廻り)に幕府の秩序を揺るがす恐れある者として目をつけられた結果,江戸幕府に呼び出されて裁判を受けることになり,自身の身分や農地整理と学堂建設を問題とされて有罪となり,遂には自ら切腹して無念とされる生涯を終えられました。

大原先生の生涯を見るまでもなく,他者の救済に自分の命を使うこと自体が簡単に出来る事ではありませんが,掲げた義が権力に抗すると看做された場合,権力は法と力によって権力の安定と秩序の維持を優先させますので,義が権力に影響を与えることはあっても権力に勝つことはないと覚悟する必要があります。

さらに,義を追及する者にとって,その義が大儀であればあるほど名利の追及と背反しますから,大義を掲げてこれを実践することは簡単に出来る事ではないのです。

皆さんは志の中に義を置いて欲しいと願っていますが,その置くべき義は,自らも他者の命も決して無駄にすることがない自分の分に応じた節義であって欲しいと思っています。

平成30年11月30日

塾長 倉田榮喜

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天皇家に伝わる八咫鏡(やたのかがみ)・八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)・天叢雲劍(あめのむらくものつるぎ)の三種の神器は,歴代の皇位継承の標とされる皇室の宝物ですが,日本人にとって鏡や玉や劍は何かを意味しているでしょうか。

神皇正統記には「鏡」は一物をたくはえることも私心もなく萬象をてらして是非善悪の姿を明らかにするもの,「玉」は慈悲の本源であって柔和善順の徳をあらわすもの,「劍」は剛利決断の徳をあらわし智慧の本源と書かれています。

鏡や玉や劍を神皇正統記に書かれているように考えると,この三宝は人生をどう生きたらよいかも示していることになります。

鏡のように真実を歪めることなく正直に受け止めること,玉のように命を癒し傷つけないという積善の徳を有すること,劍のように難事を決断して実践する智慧と勇気を持つことを示していると考えることができるからです。

そこで,皆さんが日々に追及して身につける心身の財とすべきものは,①真実を歪みなく受け取る正直な心,②積善を有徳とする心の財,③善と和を実行する為に必要な知勇兼備の力です。

皆さんが自身の財となる①・②・③を身につける為には,目的を持って修練を積み重ねるしかなく,その日々の修練の成果を明らかにするためには,①今日は正直であったかどうか,②今日は悪より善の行動が上回ったかどうか,③今日は智慧と勇気の鍛錬を怠らなかったかどうか,これらの一つ一つに日々の勝敗表をつけることを日課にして欲しいと思うのです。

平成30年11月12日

塾長 倉田榮喜