Archive: 2019.03

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非は理に勝つ事能わず/理は法に勝つ事能わず/法は権に勝つ事能わず/権は天に勝つ事能わずと二宮尊徳翁の一日一言(寺田一清編)にあります。天とは自然の摂理をさし,天道とは自然の摂理から導きだされる道理を言います。地球に存在する万物は自然の摂理下に在り,人類も例外なく自然の摂理の下で生存し,人は祖代々の命を受け継いで今を生きているのです。

自然の摂理は,万物が生成から消滅へと循環運行する時間軸と万物が調和して生存する空間軸を元理とし,天道はこの時空の元理から導かれる道理です。人も生から滅へと循環する時間軸の中で万物一体の一類として存在しますので,人が時空の元理から導かれる天道に添って生きる事は当然の事なのです。(岡田武彦先生が示される東洋的崇物論が西洋的制物論より天理・天道に適うと考える理由です。)

人道は,祖先への敬いと親に対する孝を根底に置いて,人類誕生から現在迄の経験則で得られた集団生活を円滑にする道理で(この道理は神道・儒教・仏教の訓えに示されます。),二度とない人生で命を賜り諸天諸仏に守られて生きている事に感謝し,他者の命を傷つけたり痛めたりすることなく,誠実に勤勉に自分の使命を務めて分度・推譲を実践できる人生の生き方のことです。この人道を人格として身につけられるように,皆さんは,万物一体の仁,勧善止悪の義,人との争いを避ける為の礼,そしてこれらの土台となる智勇を求め続ける鍛錬と修学が日課になるように努めて,皆さん其々に自己の使命を果たして欲しいと思います。

平成31年3月29日

塾長 倉田榮喜

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二度とない人生を生きている生は,自然の摂理下で賜った生であり,その生は祖代々の血を連綿として受け継いでいる命です。自然の摂理下で賜った生(賜生)ですから自然の摂理に添って生きる事は必然であり,祖代々の命を受け継いでいるのですから命に宿る宿業と共に生きる事を覚悟しなくてはなりません。宿業とは,自身が持っている命の傾向性と祖代々の血脈に含まれた宿命の事だと考えますが,人は誰であれ宿業を背負って二度とない人生を生きています。

貴方が宿業故に暗闇の不遇に遭っても,自分の生が賜った生であると悟り,二度とない人生を生き抜く覚悟を持って状況を見据えれば,進むべき先を照らす光が必ず見つかるのですから,宿業を人生を生き抜く支障ではなく生きる力とした方が良いのです。暗闇の彼方に見える光が他力の灯でも,暗闇を抜け出るまでに歩く力は自力と家族力であり,その自力は貴方の命に元々から備えられているからこそ賜生なのです。

貴方の二度とない人生の賜生において,自らの使命を果たすには,まず賜生であることを悟り,次に自分の使命を知覚する為の課題を乗り越える学と行との錬磨を怠らず,志を立てて目指すべき目的に向かって,一歩また一歩と辛いときも苦しい時も弛まなく歩み続けるならば,どんな暗闇であろうとも必ず抜け出る事が出来ることを確信して欲しいのです。

窮してくるしまず・憂えて意衰えず・禍福終始を知って惑わざる(荀子)

平成31年3月11日

塾長 倉田榮喜