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H29.8.31

人生の臨終において,どのように生きたら自分の人生は幸せだったと思えるのか,その死を他者が惜しんでくれるのか,皆さんが「どのように人生を生きるか」という生き方の根本問題です。

「人生二度なし」は例外のない真理ですが,何人であれ人がこの世に生を受けてから「死に向かって生きる」こともまた例外のない真理であって,生から死に向かって進む一刻一日は,誰であれ後戻りすることのできない時間です。

では,人生において後戻りしない時間をどう生きたら,自分の人生は幸せだったと思え,その死を他者が惜しんでくれるのか。

一に,人生において因果は応報であり,生から死に向かっての「生き方における因果の総決算」が臨終の有様を決めると覚悟することがまず必要です。

第二に,臨終の際に自分は幸せだったと思えるかどうかは,二度とない人生で,自分の「自」(個性)を活かして,その「分」(役割)を誠実・勤勉に果たしたかどうかに由るのです。

皆さんが社会で与えられた自分の役割を誠実に勤勉に務めれば,自分の人生は幸せだったと思えないわけがないのです。

第三に,その死を他者が惜しんでくれかどうかは,他者と世の中のためにどれだけ多く「心と体と時間とお金」を使ったかに縁るのだと思うのです。

二宮尊徳翁は,誠実に勤勉に務めた自身への報酬であっても,そのお金は自分だけの為に使ってはならず,「分度を計り他への推譲」が不可欠だと言われることを与に学びたいと願っています。

                  平成29年8月31日

                     塾長 倉田榮喜