講座Ⅲ 自然・命・法

1  自然

自然は,万物を造化し化育する根源の力を持ち,自然界に存在する他種多様な生命体は自然の摂理下にあります。自然の造化力は全ての生命体に働き,人類が他種の生命体よりも優越的立場を受けているわけではありません。

自然の天地空間に起こる森羅万象は,人の認識の有無に関係なく存在し,自然の摂理は,人を含め全て多種多様な生命体に等しく適用され全ての生命体は自然の中で循環します。自然は人類を中心にして在るのではなく,人は,万物が自然の摂理下にあることを知らなくてはならず,自然を制圧したり自然の循環を変えたりすることがあってはならないのです。自然は,万物造化という根源の力を持ち,大陸を移動させ海底を山頂とするエネルギーを有しています。人の文明を支える産業科学力の発展が自然の摂理と循環を狂わしているとすれば,文明と産業の進展は人類の滅亡を早めていることになります。人は,自然の根源力と自然の摂理下にある万物の循環則にある「真」を認識し,自然に対して尊崇と畏敬の態度で接しなくてはならず,自然の根源力に優る「神」や「仏」は存在しないことを覚知しなくてはならないと思っています。地底プレートの変動によって発生する地震と津波,気候変動に伴う猛烈台風と豪雨,熱帯化や寒冷化等の激変する環境変化に対して,神や仏の力は働かないと覚悟し,皆さんは,ことさらに生命力を鍛えて命を繋ぐ準備と覚悟が必要になっているのです。

2 命

自然界にある多種多様な生命は,自然の万物造化という根源の力によって存在し,その多種多様な生命は相互に関連して命を繋いでいます。自然環境が激変した場合にその変化に適応して命を繋ぐことが出来るか否かも自然選択の範疇で,個々の種は環境の激変に命を繋ぐ生命力があるかどうかを試されます。人命は多種多様な生命体の相互関連で繋がれているのですから,人間の社会において,「種の尊厳」は「個人の尊厳」より上位の価値に置く必要があり,種の多様性は命を繋ぐ為に守らなくてはならない価値です。

命ある生物は誕生して呼吸と代謝を行い,命を繋ぐために他種の命を食して生から死への循環を繰り返し,人も例外なく他種の命を食することでその命を次世代に繋いでいます。金子みすずさんに,「朝焼け小焼けの大漁」は「何万の鰮の弔い」する詩がありますが,自然の摂理で命を繋ぐための食が許されていても,命の種を絶滅させるような捕獲は認められず許されないのです。

自然の摂理と循環則を「天道」とし,人間集団における倫理を「人道」とした場合,人道は天道の下に在り,人は,自然に対する尊崇と畏敬の念を持って行動しなければならないと思います。自然の根源力によって生じる天変地異に,森羅万象が命を繋ぐ諸天や諸仏となって働くかどうかは,人道における「善」の蓄積如何に因ると思います。人道における「善」は,生命を癒し労わることであり,反対に生命を痛め傷つけたりすることは悪なのです。自然界で,人間を中心とする思想は否定しなければならず,人間の利便さだけを求める文明科学は,人類を滅亡させる危険を持っていることを覚悟しなくてはならないのです。

3 法

自然の造化力と循環の法則を天道とし,人道を人が求めなくてはならない倫理律とすれば,自然への尊崇と畏敬は人道の前提であり,種と命に対する尊厳は人道の根本です。自然に対する尊崇と畏敬,種と命に対する尊厳を根本とすることから,人道における「善」は生命を癒し傷つけないことになるのです。そして,自然に対する尊崇と畏敬,命の種と命に対する尊厳の態度を具体的にする作法と態度が「礼」になります。礼は,人間が自然の調和の下で生存していくという作法を示し,全体と部分の調和,部分と部分の調和を具象化して生存のバランスを求める態度作法あり,自然と人間の調和を目指すものです。

真・善・美の価値が論じられますが,自然の摂理と循環を「真」,種と命に対する尊厳を「善」,自然と万物の調和を「美」と考えるところです。人が認識すべき真は,自然の摂理と循環の中に認められるものであり,倫理上の善は,慈悲から生じる生命を慈しみ労わる行為に認められ,審美上の美は,調和を具象化した姿形に認められます。法は,国を規定する憲法を基に,刑罰を定める刑法,行政法,民法,商法等々ありすぎる程の法令で,人の行為の規範を定めます。しかし,人が根底としなければならない法は,自然の法であり,根本としなければならない規範は,自然と人,人と人が調和を保って命を繋ぐことができる倫理律なのです。

皆さんには,命を繋ぐ為の自然の法と人道たる倫理律をしっかりと学び身につけて欲しいと願っています。

令和2年9月15日

塾長 倉田榮喜