講座Ⅸ 倫理と正義

1 倫理と善悪

江戸時代は,寺子屋の読み書き算盤と論語や五倫五常も学ぶ対象としましたが,現在の民主主義社会では,人格陶冶は自己責任の領域とされ倫理や道徳を学ぶ場が少なくなって善悪の判断基準が曖昧になり,善や義よりも利を重視する社会になっています。倫理は,①自然の真理(真),②生命の尊重(善),➂自然と種と生命の調和(美)を根底に置くべきもので,人は,自然の真理の下で生命を慈しみ癒し生命と種の尊厳の調和に務めなければならないのだと思います。皆さんには,真・善・美の価値を究明し論語や五倫五常も参照して,人が持つ貧・瞋・痴の三毒を自覚自制して,自然の真理である天道に抗することのない善悪の判断基準と倫理観を持って欲しいと思います。

五倫は,①親子間の孝②君臣間(上命下服間)の義➂夫婦間の別➃長幼間の序⑤朋友間の信を説き,五常は,①仁②義➂礼➃智⑤信(四端は仁・義・礼・智)を教えるものですが,皆さんには,自然の摂理である「真」に抗することなく,生命造化の根源である「孝」と生命への慈愛である「仁」を生き方の根底とし,①正直(嘘をつかない)②慈愛(命を慈しみ癒す)➂智慧(争いを避け悪を止める勇気)の人間になることを目指して修練し,人の生存のエネルギーでもある欲望,瞋り,妬みを抑制する倫理観と自律心を確立して欲しいと思います。

善は,生命を慈しみ癒すという慈愛の行為で人の行動の指針となるもの,悪は,人の欲望から生じて①殺傷する②盗む➂騙す➃乱す等の生命と財を損傷させ人の平穏を乱す行為です。皆さんには人生の行動指針として明確な善悪の判断基準を持って「勧善止悪」の行動がとれる心と体をつくって欲しいのです。また,悪に直面した場合にどう対応するかも事前に考えておく事も重要で,嘘や誤魔化しをしないで事実を正直に認めることが最良で,正直であることは人生を生きる力となり最大の防御方法です。貴方の最初の行為に悪があったとしても,次の行為は正直に事実を認めることが最も良く,嘘を重ねることは最悪の結果を招きます。では,他者の悪行に直面したときにはどうすべきか。勧善の行動は単独でもできますが,止悪を一人で行うことが困難であれば仲間と共に行うことを鉄則とすべきです。一人で悪に直面した場合は命を守ることを第一として,時には逃げる活路を見出す為の抵抗も必要でその為には定期的に身体も鍛えておかなくてはなりません。

皆さんには,善悪を判断する明確な基準と倫理観を持ち①正直②慈愛➂勇気を勧善止悪の行動指針として,二度とない人生を自身の使命を果たす為に粘り強く生き抜いて欲しいと思います。

2 倫理と正義

倫理は,人格陶冶と勧善を指とする自律的行為規範,道徳は,勧善と止悪を教える他律的社会規範,刑法は,人が行ってはならない悪を限定して処罰の対象とする罰則法規です。正義は,倫理や道徳を本とする人の行動指針とされるべきものですが,正と義が結合され正は秩序を義は名分を表すと考えられますので正と義がどのような関係にあるのかも考えてみたいと思います。

正義は,統治者が独占する暴力によって担保され,統治権力は,正義の判断基準を有して止悪を目的とする警察権力と司法機関を持ちます。統治の権力者は,社会の秩序と平穏を①権威②法➂暴力によって維持し支配の為に秩序と平穏を優先すると,義による混乱よりも悪で作りだされる秩序を認めることさえあります。権力者は,倫理や道徳から導かれる義が個人の倫理観に留まる限りこれを容認しますが,義を追及する行為が社会の混乱につながる恐れがあるときは暴力によって圧殺することもありえるのす。

正と義が倫理や道徳から導かれる判断基準で抗する場合において,倫理と道徳の根底を生命の尊重とすれば,義であるかどうか善であるか悪であるかの判断基準は生命となり,命を慈しみ癒す行為は善であり命を壊し傷つける行為は悪となり,生命に関わる勧善止悪の行為は権力に対しても義であるべきです。しかし,権力者が義よりも正(秩序)を優先すると悪も媚びる社会が生じることがあり,悪は誰もが持つ三毒(貧・瞋・痴)から生じて強固ですので,義の理想が悪の欲望に覆われてしまうことが社会で起こるのです。それでも,暴力による支配が永続しないことは真理ですから,皆さんは,暴力による支配に追従することがあってはならず,暴力に対して屈することのない勇気を持ち続けなくてはなりません。

貴方が,義のない暴力による社会の悪を義憤に駆られて追及するとしても,追及の方法は仲間と共に在ることが必要であって,義の為に自身の命を捨てることも他者の命に危害を加えることも許されません。命を傷つけること自体が悪なのですから,命を手段とする義の実現は取るべきではないのです。貴方が信じる義を実現する為には,自然の真理を確信して粘り強く耐えながら自分が信じる義を多数の義にしていくしかなく,義の為に命を捨てたり他者を傷つけたりすることは許されないのです。

皆さんには,権力に抗することが容易でないことも覚悟して時勢との折り合いも見極めながら,二度とない人生において,自然の真理の下で生命を慈しみ癒し人が持つ三毒を抑制しながら勧善止悪の人生であるように,そして,現実の社会で自分の志を実現し,利よりも善と義を先に置く倫理観を持って報恩と奉仕の人生となるように,修身と鍛錬に務めて欲しいと願っています。

  令和3年3月15日

塾長 倉田榮喜