講座Ⅹ 自由と平等

1 自由

自由は,平等と共に民主主義社会において個人が幸福を求める為の基本権ですが,無制限の自由はなく,自立(環境的自立・経済的自立・精神的自立)と自律(戎・定・慧)を確立しなければ簡単に他者の支配下に置かれてしまう権利です。自由は,全ての命が天(自然)から賜った命であることから自然の摂理下にある自由であり,人が本質的に持つ貪・瞋・痴の三毒と代々の祖父母から受け継ぐ宿業に縛られる自由であり,また,命を継ぐ為に必要な集団の互助で制約される自由です。自然の摂理に抗する自由と互助の規範である道徳や正義に反する自由は認められず,宿業や三毒の他にも自身の物欲,性欲,名誉欲に捉われやすい自由であることを自覚する必要があります。

民主主義で自由と平等が謳われますが,しかし,民主主義の中央集権官僚体制や自由主義に基づく市場経済は,漸進的に人の自由を束縛し,民主主義の主権者たるべき国民は,油断をすると①権威②権力➂財力➃組織に服従するしかない都合の良い消費者と消耗品にされてしまう危険があることに注意をする必要があります。伝統的権威に対して敬意と礼節を保つことが礼儀であるとしても単純に服従してはならず,教育的権威,制度的権威,組織的権威に盲目的に従うことも自由の放棄につながります。統治権力は,中央集権と官僚制を手段として平等の名目で国民を平準化して個々の自由を制約し,権力の財政を支える資本主義は,貧富の差を拡大させて1%の富者と99%の貧者に集約しようとしています。深刻なのは,利益追求を旨とする資本主義は,利益の為に未知のフロンティアを求め続け次世代に残すべき資源も使い果たし,いまや地球の環境は生命の保全もできなくなるという状況に陥らせています。自然から与えられた生命体の一つである人間が,地球環境を破壊することは自然の摂理に刃向う行為で許されるべきものではないのですが,資本主義の自由を大義として利益を追求する欲望は止まるところがありません。

皆さんには,この危機的な状況でどのように生きたらよいか,どのように自身の命の時間を使うかをよくよく考えて人生の選択をして欲しいのです。皆さんは,まずは独立自尊の自身を確立して,どうしても守らなければならない自由や使命を果たす為の自由は,権威,権力,財力,組織等に故無く奪われることのないように心して二度とない人生を生き抜いて欲しいのです。

2 平等

平等は,生命が等しく尊厳であるという原理の下で自由と共に民主主義の基本権ですが,民主主義における法の前の平等は法的権利の平等であって,命の尊厳と富の分配や所有の公平を担保するものではありません。人の命が等しく尊厳である以上は,人が持つ個性と能力が異なりその使い方で地位や財産も臨終の様相も異なるものになっても,貴方が持っている個性と能力を貴方に与えられた使命の為に尽し切って臨終を迎えるならば,仕事や業績の大小に関係なく見事な人生を生き抜いたことになり,命が等しく尊厳であることを実証することになるのです。したがって,貴方が居る其の場所で貴方が持っている個性と能力を活かして生き抜く事こそが人生の大事であって,平等を叫んで他者の能力を羨み仕事の業績を比較することは必要のないことになります。

他方,資本主義による漸進的な貧富の差の拡大は,個々人の生命の尊厳と平等を保てない状況を作り出し,命を継ぐ為に必要な地球環境までをも悪化させ続けています。皆さんは,1%の富者の経済的自由は99%の人々の生存的平等を侵害し,民主主義の中央集権は,国民の皆平等を名目的大義として集権官僚専制体制を作ろうとしている政治的現実にも注意深く目を向けて,幸福を求める為の自由と平等が保障されているかどうかに注意して主権者としての権利を行使できるようになることが必要です。

皆さんは,自身に与えられた個性と能力をできるだけ早く発見して,資本主義に都合のよい単なる消費者や組織の代替的消耗品にならないように,また,中央集権官僚専制体制に支配される僕となる事がないように,また,認められるべきではない自由の主張が生存的平等を侵害する事がないように,そして,平均的平等を叫ぶ事が本来の自由を侵害することがないように,それぞれにしっかりと用心して,遠近的には,現在の資本主義的消費型経済から脱却して,地域や集落による自給自足的生産型経済の確立を目指して欲しいと思いますし,全ての生命は平等に尊厳であることを銘記して,直近的には,二宮尊徳翁の誠実・勤勉・分度・推譲の生き方を実践しながら,皆さんが持っている自由の一部は,生命の尊厳と平等を実現する為に使えるように推譲して欲しいと願っています。

令和3年4月15日

塾長 倉田榮喜