1 日本列島の自然風土と日本民族の伝統
日本国の存立基盤は,世界の東端に位置する四辺臨海の地政上の位置,日本列島の自然風土,列島に定着した同一民族による創国から現在まで続く天皇を中心権威とする伝統,民族が持つ繊細な技術力,民族固有の文化に在ります。日本国は,地政上で戦略的要衝の領土と四方を海に囲まれた世界6位の領海を持つ島国列島で,領土は四季の山海の幸に恵まれ,列島に定着した縄文人は自然を尊崇し家族を核としながら自我よりも集落の和を優先させる人々でした。縄文の人々は,大自然の中で生き残る為には相互に支え合い・助け合うことが必然であり,個の力を纏めた集団の力こそが命を未来に繋ぐ力であることを心身で感じていたのです。
日本列島は,台風や豪雨災害に加えて地震が頻発する自然災害の大多発国で他に逃げる所がない島国であると共に四季の果菜物等の大地の幸と魚貝等の海の幸に恵まれた所で,縄文の人々が持ち続けた風水害や大地震を起こす自然への畏怖の念と大地川海の幸を恵む自然への感謝の念は,自然界に存する神々を畏敬尊崇する宗教心を芽生えさせ,この宗教心と命の源である祖先崇拝の心情が天皇を権威と認める伝統に繋がったと思います。そして,縄文時代から蝦夷や琉球の人々を含め日本列島全域で一万年以上の長期にわたり類似の生活様式と慣習が形成され,政治体制や言語が統一されていなかったとしても,祖先たる縄文人と後来の渡来人との幾多の交わりはあっても,現在に至るまでも騎馬民族等の他民族に入れ替わったことはなく,民族の同一性が保たれて天皇を権威とする伝統は世界に例がないのです。
2 伝統と権力
伝統は,祖代の系統を受け継ぐ慣行や文化に示されるもので,日本の「伝統」は,自然尊崇・祖先崇拝の慣行と個人よりも集団を重んじる「和」と「非自我」の精神が時の経過に淘汰されながら受け継がれた「縦」の関係を示すものです。伝統は,権威を重んじ祖父代々の智慧と暮らしの慣行を受け継ぎ,伝統主義は同世代における権力関係である民主主義と対置されるものです。民主主義は,同世代の「横」の関係を示し権力と知識に基づき「個人の尊厳」を基本価値として人権と平等を重視し,同世代の総意として前世代からの智慧の総積である伝統を拒絶して変更することもありますので,縦の関係を示す伝統主義と横の関係を示す民主主義や無限定の合理主義との関係を整理しておく必要があるのです(講座ⅡのⅥ)。
生命の根源価値である「種の尊厳」と現憲法が基本価値とする「個人の尊厳」との価値を考慮した場合,種の尊厳が個人の尊厳よりも上位の価値であって,命を繋ぐ為に集団における「和」が必要とされる場合には,個々の人権や平等は譲らなければならないのです。伝統は,祖代々の智慧の総積に基づくものであり,権力は,同世代の民意と知識に基づくものですから,種の尊厳が個人の尊厳よりも上位の根源価値であるように,倫理において縦の関係が主であり横の関係が従であるように,縦の関係を示す伝統主義が主であり,横の関係を示す民主主義は従であることを前提にして,自然を尊重して全体と相互の調和を計らなければならないと思います。
3 権威と文化
文化は,民族の精神性や創造性が生活の在様や方法に示されるもので,文明は生活様式の物的客観的施設や制度です。日本の文化は,自然尊崇や祖先崇拝と和を優先する精神を顕わす特性を持ちこの精神性や特性は地域集落毎の祭事や四季の行事として受け継がれ,集団の和を優先する非自我の意識は武士道や芸道の根底になりました。 日本は,大陸の東端に位置する辺域の島国であったことから,大陸の文化文明を学ぶ必要がありましたが,日本民族は,隋や唐等の大陸の文化文明を学びながらもそのまま受容する事は無く繊細な技術と工夫で独自の文化を創造しました。
17条憲法の第1条が「和を以て貴しとし」と宣言し,同10条に「我独り得たりと雖も,衆に従いて同じく挙へ」とし,最後の17条にも「夫れ事は独断すべからず。必ず衆と論うべし」とするのは,「和」と「衆議」の精神を宣言するもので,仮に衆議が中華文明の影響を受けていたとしても,ヤマト政権の創国時以前から各農村集落において衆議一致の原則が基底にあったからこそ「和」と「衆議」が日本民族の基本になり,農村集落の全戸参加の寄合による衆議一致の原則は,明治の時代にも残り例外としての「村八分」の慣習もありました。日本人は,和と衆議の精神が日本の伝統文化に貫通されその伝統文化は権威によって守られ続けていることを覚知し,日本国は,その権威の中心が天皇に存することを国民に周知しなくてはならないと思います。
令和5年7月31日
立志学舎塾長 倉田榮喜