孟子(紀元前372年?-紀元前289年)は,人の性は「善」であるとして,「惻隠」「羞悪」「辞譲」「是非」の四端を深拡することによって,「仁」「義」「礼」「智」という徳を身に付けることが出来ると説いたとされます。
荀子(紀元前313?-期限前238年)は,人の性は「悪」であるとし,「学は以て已むべからず」(勧学編)と「礼」を学ぶ必要性を「人之性悪、其善者偽也」として,「善」は人の努力の結果である(「偽」は人の行いという意味で嘘あるいは偽物という意味ではない。)と説いたとされます。
動物である「ヒト」は,躾を身に付けることで「人」となり,法秩序と礼儀作法を学び行って「社会の人間」として認められます。動物である人間は,生存して次世代にその種を繋ぐという本能を持ち,生存する為には他の生物も食糧として其の命をも奪いますが,自分の命を次世代に繋ぐ為に子を慈しみ守り育てます。生存の為には他も犠牲にするという性を「悪」と見れば,命を繋ぐために子を慈しむという性は「善」と見ることも出来ますので,動物である人間は性として善悪共に備えている事になります。性としての善性も成長する中で悪に染まることがあり,性としての悪性も学び続ける事で善の結果を為すことも出来るのです。
皆さんは,人は悪と善との両方の性を有する動物であることを自覚して,人間として,社会の中で自分の「天分」を顕す為に,躾を身に付け秩序作法を学び,「仁」「義」「礼」「智」の「徳」を深めて,「勧善止悪」の行動の人に成って欲しいと願っています。
令和2年2月10日
塾長 倉田榮喜