国家の正義は統治者のものであって,統治者が判断する正義は被統治者への規制機能として作用し,秩序を乱す不正は刑罰や行政罰の対象となり,道理に反する不義は集団の多数者から反社会的な行為として非難されます。
それでは,正義は統治者だけのものであって個人の正義は掲げられないのか,否!
個人の正義は,時を経て多数の正義となりやがて国家の正義となる可能性を有し,個人において求める価値を追及する行動の規範となりますので,個人の正義を掲げることが必要なのです。
国家の正義が秩序や道理を守るという規制機能が強いのに対して,個人の正義は集団生活の中で個人が人生で求める価値を追及する行動の規範として重要な意義を持つものなのです。
では,その行動の規範として追及すべき個人の正義はどのような正義であるべきなのか。
皆さんに掲げて欲しい個人の正義は,自然の摂理の下で万物共生・相互扶助の生き方に適う正義であり,人々が長い経過のなかで共通の価値として築きあげてきた美徳や共通の善に基づく正義であって欲しいと願うところです。
この二つを基にする個人の正義は,可能な限り普遍の正義に近いものとして追求して戴ければと思うのです。
個人の正義が可能な限り普遍の正義に近づいて,普遍の正義に近い個人の正義が被統治者の多数を占めるようになれば,やがて国家の正義も普遍的正義となるのでは,と期待したいのです。
平成29年4月28日
塾長 倉田榮喜