Archive: 2018.01

最終更新:

H30.1.31

人は,指針となり生き方を照らす一燈を掲げる必要があります。

「一燈照隅・万燈照国」は伝教大師(最澄)が言った言葉とされ,安岡正篤先生は「一燈照隅・萬燈遍照」と説かれました。

皆さんは,自分の人生で何を成したいのか,人生をどのように生きるのか,その掲げる一燈を立志といってもよいのです。

皆さんには,掲げる一燈ができるだけ遍く照らす一燈であることを目指して欲しいと思いますが,まずは,自分の脚下と家族を照らす一燈として光って欲しいのです。

皆さんの一燈がどのような光を発するかは刻苦勉励を続けるなかで次第に形作られていくのですが,その一燈は自分の才能(自)と役割(分)に応じたものになるべきです。

そして今は,自分の「自」と「分」に応じた一燈の光射程を求めながら,時々に達すべき目標点と実現すべき目的を心に念じて刻苦勉励を続けることが,何より肝要と覚悟して欲しいのです。

皆さんの立志の一燈が夫々の才能と役割に応じて,まず自分の人生の進路と生き方を照らす一燈として光り,そして家族を幸せに照らす一燈として輝き,次第に他者と集団をも幸せにする一燈と成って遍く光り輝くことを,目指して欲しいと思います。

その立志の一燈を光り輝くものにする為には,人生の大敵である甘えを排した刻苦勉励と,年齢に応じて達すべき目標点と実現すべき目的を日々に心に刻み込む自律の強い意思が必要です。

貴方が立志の一燈を掲げて光り輝き,その目標と目的が一つまた一つと実現していくことを心から期待しています。

平成30年1月31日

塾長 倉田榮喜

最終更新:

H30.1.11(

森信三先生の一日一語一月九日の頁に,頼山陽の「十有三春秋/逝者己如水/天地無始終/人生有生死/安得類古人/列千載青史」という立志之詩が紹介されており,「天地始終なく人生生死あり」の一句を,いかに実感をもってわが身に刻み込むかが問題であるとされます。

皆さんは,二度とない本年の年頭において,どのような立志を掲げ,どのような決意を其の身に刻み込まれたでしょうか。

安岡正篤先生の照心語録には「立志」とは,「現実に対する虚無の中から真実を打ち出そうとする、これを立志という。これが真の意味での理想を持つということだ。」とあります。

真実を打ち出そうとする理想は常に欠くべからざるものですが,皆さんは,まずは必死に頑張れば達成できる直近の目標を実現することを其の身に刻み込むことが大切な時期です。

森信三先生の「真理は現実のただなかにあり」の「志を立てて生きる」というお話のなかで,「立志とは、ほかの言葉でわかりやすくいえば、甘え心を切り捨てること」と言われ,「諸君!例外をつくっただめですぞ。今日は疲れているからとか、夕べはどうも睡眠不足だったからと考えたら、・・・例外をつくったらもうやれん。決然と立ち上がるんです。」と甘え心を切り捨てることを立志とされて,その後に人生の種まきの話をされています。

皆さんの刻苦勉励は,人生を幸せにするための種まきであり,人生において自分の自を発揮しその分を果たすためです。故に,「決然として甘えを排し勉強すること」が立志の出発点となるのです。

平成30年1月11日

塾長 倉田榮喜