Archive: 2018.10

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「天」とは,自然の摂理をさし自然の摂理を「天理」と考えていますが,人を含めて萬物は天理の下で生存しています。天は「真」であり「仁」であり「循」であり,人は天理が一定のリズム(真)で,萬物の調和(仁)と生命の循環(循)が行われている事を真正直に受け止めてこれを生存の原則とすべきです。

「地」とは,大地(大海)をさし自然の摂理を具象化する「美」を有し,全てを受け入れる「恕」であり自然の摂理を現実化する「厳」でもあります。大地(大海)は,萬物生存の基盤であり,自然の摂理の下で萬物を育むと共に萬物全ての生死を受け入れています。

「人」は,大地(大海)が人類だけでなく萬物が共有する生命の基盤であることを忘れていてはならず,萬物共有の生存の基盤である大地(大海)を傷つけたり痛めたりしてはならないのです。

皆さんには,天理を歪めることなく真正直に受け止めて,大地(大海)から与えられる萬物の恵みで命をつないでいることに感謝し,萬物の調和と個々の積善を「義」とできる生き方を追及して頂きたいと願っています。その為には,調和と積善とを実行する勇気と智慧が必要ですので懸命に日々自分の研鑽に務めて欲しいのです。

「鏡は一物をたくはへず。私の心なくして、萬象をてらすに是非善悪のすがたあらわれずといふことなし。そのすがたにしたがひて感應するを徳とす。玉は柔和善順を徳とす。慈悲の本源也。劔は剛利決断を徳とす。智慧の本源也。」(神皇正統記)。

平成30年10月31日

塾長 倉田榮喜

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明治憲法下の教育勅語は,「我ガ臣民、克ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ、世々厥ノ美ヲ済セルハ、此レ我ガ国体ノ精華ニシテ、教育の淵源、又実ニ此処ニ存ス」「爾臣民、父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ、恭倹己レヲ持シ、博愛衆ニ及ボシ、学ヲ治メ、業ヲ習ヒ、以テ知能を啓発シ、徳器ヲ成就シ、進ンデ公益ヲ広メ、世務ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重ンジ、國法に遵ヒ、一旦緩急アレバ、義勇公ニ奉ジ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」と定め,臣民は「義勇」を「公ニ奉ジ」国と家族を守るために幾百万人もの人々が戦争で自分の命を使いました。

現行憲法は,天皇主権から国民主権となり,価値の中核は「個人の尊厳」とされていますが,現行憲法下において国民の求心力たりうる「国民の義」を考えることはできないのでしょうか。

「種の尊厳」を価値の根源とし,皆さんの命の源を遡る「孝」を根源の徳と位置付けて,国民の求心力となりうる「国民の義」として自然と天皇に対する「敬」を置いたらと考えるところです。

天皇家が八百万の自然を敬い国の伝統と文化を承継している事,天皇が国民統合の象徴となっている事からして,自然を敬い先祖を祀る意である「敬」は,自然と祖先を敬し国民統合の求心力としての「国民の義」にならないかと思うのです。自然と天皇に対する「敬」を国民の義とすることで,「国を愛する心」も具体的な形になるのではないかと思えるのです。

これは,国民の求心力となりえる「国民の義」は何かという問題ですから,皆さんもこの問題を頭において欲しいと思うのです。

平成30年10月11日

塾長 倉田榮喜

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皆さんが持って生まれた自分の「其の自」を活かし「其の分」を「二度とない人生」で結実させる為には,「稚心を去り」自らを「律」し「志」を立てることが肝心です。

自分の「命」が持っている「時間」のことであるならば,皆さんは,「命の時間」を何に使うのか考えて志を立てなければ,時間は矢のように過ぎ去ってしまいます。

皆さんが命の時間を自分が立てた志の為に使うことは当然として,家族の為に時間を使う事も強い絆で結ばれる者の責任です。

皆さんが立てた志を果たすためには,自身の律を日々に実践しながら家族の「律」も守っていく必要があります。

家族の律は先祖からの「家訓」でもあり,家族の律と個人の律との「調和」が必要で,家族の調和の中で家族の一人一人が掲げる「志」を明示して家族の相互で支え合うことができるのです。

そして,皆さんには,自分や家族の為だけではなく生まれた故郷や国の為にも其の命の時間を使って頂きたいと思うのです。

自分や家族の為だけではなく,故郷や国の為にも命の時間を使う為には,皆さんが立てた「志」の中に「義」を置く必要があると思います。

志を立て,何の為であれば他の為に自分の命の時間を使ってもよいと決意できるのか,皆さんの「志」の中に「義」を置くことで,自分の命の時間を使う意義が明確になり,皆さんの二度とない人生を生きる行動の指針になるのだと思っています。

         平成30年10月1日

塾長 倉田榮喜