Archive: 2019.07

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文明を象徴する現在の都市は,太陽の光が届かない夜でも人工の光で煌々と照らし出されています。

統治制度等のシステムと科学技術の発達で効率性と利便性を追求して造られた人工建造物の集積である文明都市は,西洋的制物論と経済至上主義の下で地球の資源を限りなく消費し続け,万物の中に人間を中心とする思想は,自然だけではなく命さえも制圧(遺伝子操作・クローン技術)しようとしています。

果して文明は,自然を制圧して地震や台風等の自然災害の発生を防止することが出来るのか,命の存続に必要な太陽に代わる光と十分な水を人工的に造り出すことも出来るのか。仮にこれらが出来たとしても,自然のリズムに反し人間中心主義の欲望と驕りで造られた都市が今後も存続出来るとは思えません。

これからは,自然を制圧する西洋的制物論ではなく,岡田武彦先生の東洋的崇物論で,原始古代から万物の生死が繰り返される自然循環のリズムと万物の調和を根本とすべきで,科学技術等の進化を手段として自然や命を制圧の対象とすべきではないのです。

地球物理学者の寺田虎彦(1878~1935)は「天災と国防」という随想に「文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向がある」と書いていますが,文明都市の人工建造機能物が増大すればするほど,自然のリズムで発生する地震・台風・豪雨等による都市被害は累積的に大きくなるのが現実です。

私達は,自然に抗する都市型人工物質文明に代えて,自然と共にある地域型生存文明と生活文化を創造しなくてはなりません。

 令和元年7月31日 

塾長 倉田榮喜

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マタイの福音書4章3~4節には「人はパンだけで生きるのではない。神の口からでる一つ一つの言葉で生きる。」と書かれ,多くの人がパン以外の価値を求めて彷徨することがあります。世の中には神の言葉を称して人を謀る不耕貪食の奪人も少なくなく,皆さんはこれらに類する人々に惑わされる事がないように心する必要があるのですが,そもそも,パン以外の価値を求めて彷徨する前に,パン(食糧)を確保できなければ命を繋ぐことはできないという真実を直視することが必要です。

人は,原始古代から太陽と自然の水を恵みとし,陸地の動植物と川海の魚介類等を捕食し田畑を直耕等して,自然の中で自然と共に命を繋いできました。近代物質文明のお金で食糧が贖える貨幣経済の下で,人々の多くは食料の生産や供給の心配をする事なく,お金を重要な価値あるものとして,より多くのお金を得る為に自然環境よりも経済の効率性や利益を優先して都市物質文明を造りました。都市物質文明を造った人々の経済と効率重視の結果として,自然環境は崩壊の危機に瀕しさらに地球資源も枯渇し,食糧を生み出す陸地と川海の汚染が続いています。今のまま経済優先で自然環境の破壊が進めば,人がお金で食糧を贖う事が出来なくなる時も遠い先の事ではないように思えてしまうのです。

このような時を迎えない為には,自然環境を経済の効率性よりも優先する集落型生存文明に転換し,古来の直耕的生活のシステムを再構築する必要があると思うのですが,杞憂でしょうか。

令和元年7月11日

塾長 倉田榮喜