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飛鳥時代の中心的政治家である聖徳太子(574年~622年)が制定したとされる一七条憲法第一条に,「一に曰く、和を以て貴しとし、忤ふること無きを宗とせよ。人皆党あり。また達る者少なし。是を以て、或いは君父に順わず。また隣里に違う。しかれども、上和らぎ、下睦びて、事を論ふに諧ふときは、事理自づからに通ず。何事か成らざらむ。」とあります。

一七条憲法の「和」は,事理を追究する議論の方法としての和を記したものとされますが,交渉において「和をもって貴し」とすることは,度を超えた「お人よし」と「間抜けぶり」を示す弱点だとする見方もあるようです。

しかし,「天理は萬物の和にあり」とされるとおり,人の集団において「和」はそれ自体が根本的な価値です。したがって,皆さんが掲げる志の中に置く「義」を達成しようとする道程で,その手段は「和」を乱すものであってはならず,他者の命を傷つけるものであってはならないのです。

自己中心的な我心は,「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」となってしまいがちですが,自分の義を達成するために他者を傷つけることは許されず,執るべき手段を誤った時点で義ではなくなるのだと思うのです。お人よしとの批判を甘受しても,目的としての和だけではなく手段としての「和」も根本的価値です。

そして,皆さんは他者を傷つける事がないのと同様に目的のためであれ自らも傷つく事がないように,少しづつ慎重に諦めることなく,其の志に置く義に向かって歩んで欲しいと願っています。

平成30年12月10日

塾長 倉田榮喜