Category: コラム

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昭和30年代,中学を卒業したばかりの若者は,金の卵と持て囃され集団就職列車で東京へ大阪へと集められて都市経済を支える労働力となり,米を作る田は車を造る工場等となって日本の高度経済成長時代が築かれました。しかし,昭和から平成へそして令和の時代の今日では次の後継者を都市に供出した地方は,過疎の限界集落となって高齢者の集落となり,都市を支えた金の卵達の多くも資本主義の束縛の下で酷使された身体を抱えて老後を迎えています。

利益を産み続けることを命題とする資本主義は,共通資産である自然環境と地球資源を食い潰し,利益優先の市場経済に基づく成長至上主義は,抑圧や不平等と冨の格差をもたらしています。先人が血を贖って求めた自由と平等は,いまや資本主義を支える市場経済至上主義者によってじわりと簒奪されています。

環境と資源は,未来に引き渡さなければならない人類共通の資産であって,その天然資源が有限である以上は右肩上がりの成長を求め続ける資本主義とは早急に決別すべきなのだと思います。昭和の時代に地方から都市に移転した人口は,都市から地方に還流する必要があり,過疎地の荒れ果てた父祖の田畑を蘇えらせて自然を侵奪せず自然と共に生きる共生の生活文化を創造しなくてはならないのです。

皆さんには,資本主義の抑圧と不平等に束縛されることなく,自然と共生する生活文化を創りあげて欲しいと願っています。

令和元年11月11日

塾長 倉田榮喜

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皆さんの生命は,代々の祖父母から受け継がれている命です。皆さんが受け継いだ命は諸天万物に守られて今に存在しています。

 能く其の根源を押し極めて見よ。

 身体の根元は,父母の生育にあり。

 父母の根元は,祖父母の丹誠にあり。

 斯くの如く極る時は,天地の命令に帰す。

 されば天地は大父母なり。故に元の父母と云えり。

と,「二宮尊徳一日一言」には書かれています。

 親への孝養とは,単に自分を生んでくれた一人の親を大事にするだけでなく,

 親への奉仕を通して,実は宇宙の根本生命に帰一することにほかならない。

 これは藤樹先生のいわゆる「大孝」の説であり・・・

と,森信三先生は述べられます。

中江藤樹先生は,「孝は太虚を以て全体」とし「孝は宇宙生成の根本原理」とされますので,「大孝」とは大自然の根元生命へ帰命することになるのだと考えます。皆さんが祖先と親に対する報恩の誠を押し極めることは,大自然の根元の生命へ帰命することであり,その行動は自然の摂理に適うものになるのです。祖先や親に対する報恩の行動を極める事は,結局,自然の摂理の下で万物と共生して受け継いだ命を次世代に繋ぐ事なのです。

人間を万物の中心に位置付けて,生活の利便性を追求する為に,人が科学の力を以て自然を抑圧することではないことを,皆さんには明らめて欲しいと思っています。

和元年11月29日

塾長 倉田榮喜

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人は,二足歩行になって両手を自由に使うことで,食糧を得る為の道具を使うようになり,頭脳は次々に文明の利器を発明して生活の進化は続いていますが,現代の人は縄文弥生の人よりも自立していると言えるのでしょうか。

大分県中津市の福沢諭吉旧居・福沢記念館には先生の「独立自尊是修身」の額が掲げてあり,後に慶應義塾で編まれた「修身要領」には「独立自尊」とは,「心身の独立を全うし、自ら其身を尊重して,人たる品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云う。」と定義され,個人の独立自尊,家族の独立自尊,社会人の独立自尊,国民の独立自尊,国家の独立自尊が条文として記されています。

個人として独立自尊である為に,第一は精神的に自立している事,精神的な自立にはまず稚心を去り親の保護や与えられた境遇から自立する事,第二に経済的に自立する事,他者からの経済的支援を受けることなく生活できる収入を稼ぐ事,第三に権力からも自立している事が必要だと思っていますが,権力は他者に影響を与えて人を動かす力を持っていますので,権力に影響されず時に権力に抗する力を持つ事は容易な事ではありません。

独立自尊は簡単なことではありませんが,福沢先生に「独立自尊是修身」とあるように,まず「身を修める」事が必要で,身を修める為には日々に修学と鍛錬が必須です。日々の修学と鍛錬を継続する為には自身を律する掟を作りこの掟で自らを律し,日々に自省し明日への決意を固めて,兀座による内察と立腰の姿勢を以て,独立自尊の人と成るように自身の時間を使って欲しいと思います。

令和元年12月11日

塾長 倉田榮喜

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明治大正から続いた昭和は,昭和20年迄の異常悲惨な戦争の時代を経て,同年8月15日の敗戦から昭和64年迄は,戦後復興と経済成長を掲げ田畑を工場とし農業国から工業国へと変貌して,国民所得は伸び続け「もはや戦後ではない」との意識を持つ中間層が形成され,戦後生まれの団塊世代も結婚して独立した家を持つことが可能な時代でした。

昭和後半の高度経済成長を引き継いだ平成の30年間は,戦争を経験しない平和な時代でしたが,資本主義の限界や環境・食糧・エネルギーの課題が顕在化する一方で,政治は平成元年からの10年間,環境・食糧・エネルギーの問題を黙視して政治改革をテーマとし,選挙制度は中選挙区制度から小選挙区制度に変更され,結果として強固な官邸政権が出現しましたが,温暖化等自然環境の悪化による風雨災害が頻発し,高齢化や少子化が進み右肩上がりの経済成長は神話となり,戦後の復興と経済成長を支えた資本主義は利益優先の市場経済下で限りなく利子を追及して貧富の差を拡大させ,穏健な意識を持つことを可能にした中間層は小さくなっています。

皆さんはその困難な課題を引き継いだ令和の時代を生きなければなりませんが,大変さに翻弄されることなく,環境・食糧・エネルギーを自分の課題とし,資本主義から生じる貧富の格差による不平等や自由の侵害を阻止できる共生社会を創築する独立自尊の集団に成って頂き,皆さんの力で令和が希望を拓く時代となって欲しいと祈り,思考から行動の年にしたいと思います。

令和元年12月27日 

塾長 倉田榮喜

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皆さんに,令和の時代を拓く決意と覚悟とを持って,今後の30年間の課題を担って頂きたいとお願いしたいと思います。

今後30年間に解決しなければならない課題は,第一に食糧は自給自足できるようにする事,第二に温暖化や寒冷化によって生じる生存環境の悪化を防止する為の技術を見つけて生活の在り方を見直す事,第三は自由と公正の権利を侵害されない為に資本主義の限界を乗り越える共生のシステムを創築する事です。

二・二六事件(昭和11年)は,恐慌と不況の時代下で権力への不信と資本主義の限界が意識されて起こりましたが,その後の日本はさらに「軍人」が力を持つ国となって戦争が拡大しました。悲惨な戦争の時代を経験として持っている限り,資本主義の限界を解決する方途は,武力による革命ではなく,独立自尊の技能による平穏な改革の途でなくてはなりません。

皆さんが生き残る為の食糧は,既存の流通システムに依存するのではなく半農・半職で自給するか,仲間と共に地域コミュニティの中で自給自足の集団を構築する方法を造る必要があります。そして,皆さんの何方かに温暖化や寒冷化でも生き残る新技術を見つけて欲しいのですが,その技術は,自然を制圧する技術ではなく,自然の下で万物と共生できる技術です。

令和の日本は,金融資本と市場経済重視の国から農を本として技と情を大切にする職人の国に戻れるように,皆さんには,家族と地域を担って,新しい時代を拓くことが出来る技能の職人を目指して日々に鍛錬と研鑽に努めて欲しいと思います。

令和2年1月10日

塾長 倉田榮喜