Category: コラム

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三間(サンカン)は,時間を守る,場(空間)を守る(清浄にする),人と人との礼を守る,との生き方の指針とされています。

ところで,時間は,過去から現在へ現在から未来へと流転し,過去の時間の累積は現在の空間と人間の環境基盤を形成し,現在の環境基盤は未来の空間と人間を制約することになります。現在における地球環境の危機と地球資源の枯渇は,限りなき欲望に従った人間が残している負荷ですが,皆さんに,次世代にどのような時間と空間を残すかという事を自問して欲しいのです。

地球資源の濫用を防止し,資源の濫用による都市の利便さを放棄して,自給生活で生き抜く覚悟が必要な位の危機的環境ですが,それでも現代の指導者達は,成長と利得の旗を掲げ続けています。

前世代が作り上げた時間と空間が,現代の時間と空間を制約しているのと同じように,皆さんの個々の命も祖父母における積業を受け継いでいると自覚する必要があります。不動明王の背中の火焔は父祖代々の宿業の火焔であり,この業火に耐えながら,人類が残している空間の積業(環境破壊と資源の枯渇)に解決策を見出して,次世代に万物が生き残れる環境と人と人との生き方の作法を伝えなければならないのです。

積業の火焔の清算に努め世間の縄縛の批判にも耐えて,それでもなお,現世代は,人類と万物が自然の摂理の下で生き続けることができる環境と仕組を作り上げる必要があり,その仕組みが見つからなければ,地球と人類の未来は実に悲観的だと思わざるを得ない状況なのです。

令和元年6月10日 

塾長 倉田榮喜

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自然界では,強い種が弱い種を食して命を繋ぐ弱肉強食の捕食関係が認められますが,捕食関係が存在するのは自然界の生態系を維持する為であって強者が勝ち残る為ではないのです。自然界に存在する種は,相互に補完しながら命を繋いでおり,捕食の関係にありながらもなお共生の関係にあるのです。

種の一つである人類は,陸地の動植物と海川の魚貝類等を食用とし,さらには牛や豚や鶏を飼って人種を増加させてきました。ところで,種の尊厳を自然界の根本価値とし,万物一体の仁を善,命の殺傷を悪と考える者は,菜食主義を目指すべきでしょうか。

菜食主義には多くの態様がありますが,ウキペディアでは,菜食主義とは,「健康,倫理,宗教等の理由から,動物性食品の一部又は全部を避ける食生活を行うことであり,実践する人をベジタリアン又はヴィーガンと呼ぶ。」と記されています。また,国際ベジタリアン連合が定義するベジタリアンの分類のなかでフルータリアン(果物主義者)は,果物,トマト,ナッツ類等を常食とし,大根等根のあるものは食べないとされていますが,皆さんにも, フルータリアンの人々が野菜であっても根のあるものも命として,命の殺傷を避ける意味を考えて欲しいのです。

そして,非菜食主義者は,多様な命を頂いて命を繋いでいる事の意味を考えて命を繋ぐ為の捕食を是としても,種を断絶し生態系を破壊するような捕食があってはならず,命を捕る事への礼儀と命を食する事の感謝の念を持つ必要があり,動物の飼育や捕獲においても命を甚振るようことがあってはならないのです。

令和元年6月28日

塾長 倉田榮喜

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マタイの福音書4章3~4節には「人はパンだけで生きるのではない。神の口からでる一つ一つの言葉で生きる。」と書かれ,多くの人がパン以外の価値を求めて彷徨することがあります。世の中には神の言葉を称して人を謀る不耕貪食の奪人も少なくなく,皆さんはこれらに類する人々に惑わされる事がないように心する必要があるのですが,そもそも,パン以外の価値を求めて彷徨する前に,パン(食糧)を確保できなければ命を繋ぐことはできないという真実を直視することが必要です。

人は,原始古代から太陽と自然の水を恵みとし,陸地の動植物と川海の魚介類等を捕食し田畑を直耕等して,自然の中で自然と共に命を繋いできました。近代物質文明のお金で食糧が贖える貨幣経済の下で,人々の多くは食料の生産や供給の心配をする事なく,お金を重要な価値あるものとして,より多くのお金を得る為に自然環境よりも経済の効率性や利益を優先して都市物質文明を造りました。都市物質文明を造った人々の経済と効率重視の結果として,自然環境は崩壊の危機に瀕しさらに地球資源も枯渇し,食糧を生み出す陸地と川海の汚染が続いています。今のまま経済優先で自然環境の破壊が進めば,人がお金で食糧を贖う事が出来なくなる時も遠い先の事ではないように思えてしまうのです。

このような時を迎えない為には,自然環境を経済の効率性よりも優先する集落型生存文明に転換し,古来の直耕的生活のシステムを再構築する必要があると思うのですが,杞憂でしょうか。

令和元年7月11日

塾長 倉田榮喜

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文明を象徴する現在の都市は,太陽の光が届かない夜でも人工の光で煌々と照らし出されています。

統治制度等のシステムと科学技術の発達で効率性と利便性を追求して造られた人工建造物の集積である文明都市は,西洋的制物論と経済至上主義の下で地球の資源を限りなく消費し続け,万物の中に人間を中心とする思想は,自然だけではなく命さえも制圧(遺伝子操作・クローン技術)しようとしています。

果して文明は,自然を制圧して地震や台風等の自然災害の発生を防止することが出来るのか,命の存続に必要な太陽に代わる光と十分な水を人工的に造り出すことも出来るのか。仮にこれらが出来たとしても,自然のリズムに反し人間中心主義の欲望と驕りで造られた都市が今後も存続出来るとは思えません。

これからは,自然を制圧する西洋的制物論ではなく,岡田武彦先生の東洋的崇物論で,原始古代から万物の生死が繰り返される自然循環のリズムと万物の調和を根本とすべきで,科学技術等の進化を手段として自然や命を制圧の対象とすべきではないのです。

地球物理学者の寺田虎彦(1878~1935)は「天災と国防」という随想に「文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向がある」と書いていますが,文明都市の人工建造機能物が増大すればするほど,自然のリズムで発生する地震・台風・豪雨等による都市被害は累積的に大きくなるのが現実です。

私達は,自然に抗する都市型人工物質文明に代えて,自然と共にある地域型生存文明と生活文化を創造しなくてはなりません。

 令和元年7月31日 

塾長 倉田榮喜

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文明のソフト部分である思想・統治・経済・市場等の制度が整えられるなか,文明のハード部分を象徴する人工建造物の集積である都市は,経済至上主義を是とする統治制度の下で人と物を限りなく集めて資源を消費し,そのエネルギー消費は地球資源を枯渇させ,その排出は地球の温暖化と大気汚染等で自然環境を破壊しています。現在の文明を象徴する都市はこのまま存続できるのでしょうか。

問題の一つは,現在の都市は大地震等の自然災害で壊滅的な被害を受けるとされている事です。文明と科学の進展が地震の発生と災害を予防する事が出来たとしても,まずは,避難と生存に必要な安全な地域の整備を実施する事が先決です。そして,その際には被災した都市の復興は断念して,自然と共にあって命を繋ぐ事ができる新しい生存地域を創造したがよいと思うのです。

問題の二つは,日本は,エネルギーの9割と大部分の地下資源ばかりか食糧の6割(カロリーペース自給率37%),木材の8割,水産物の4割を輸入する海外依存の国家である事です。地球の資源が枯渇し,エネルギーや食糧が輸入できなくなったら都市は機能しません。この危機を避ける為には,エネルギーや必要な資源は国内の資源で代替できるようにする事,生存に必要な食糧と水は国として自給体制を構築する事が肝要なのですが,それが出来なければ,都市に住む人々は,水と米麦等の食糧は生存の効用においてダイヤモンドよりも必要な物である事を自覚して,食糧の供給が途絶えた場合にどのように対応するのか,国家に任せずに自分で出来る備えと覚悟が必要です。

令和元年8月9日

 塾長 倉田榮喜