Category: コラム

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「天」とは,自然の摂理をさし自然の摂理を「天理」と考えていますが,人を含めて萬物は天理の下で生存しています。天は「真」であり「仁」であり「循」であり,人は天理が一定のリズム(真)で,萬物の調和(仁)と生命の循環(循)が行われている事を真正直に受け止めてこれを生存の原則とすべきです。

「地」とは,大地(大海)をさし自然の摂理を具象化する「美」を有し,全てを受け入れる「恕」であり自然の摂理を現実化する「厳」でもあります。大地(大海)は,萬物生存の基盤であり,自然の摂理の下で萬物を育むと共に萬物全ての生死を受け入れています。

「人」は,大地(大海)が人類だけでなく萬物が共有する生命の基盤であることを忘れていてはならず,萬物共有の生存の基盤である大地(大海)を傷つけたり痛めたりしてはならないのです。

皆さんには,天理を歪めることなく真正直に受け止めて,大地(大海)から与えられる萬物の恵みで命をつないでいることに感謝し,萬物の調和と個々の積善を「義」とできる生き方を追及して頂きたいと願っています。その為には,調和と積善とを実行する勇気と智慧が必要ですので懸命に日々自分の研鑽に務めて欲しいのです。

「鏡は一物をたくはへず。私の心なくして、萬象をてらすに是非善悪のすがたあらわれずといふことなし。そのすがたにしたがひて感應するを徳とす。玉は柔和善順を徳とす。慈悲の本源也。劔は剛利決断を徳とす。智慧の本源也。」(神皇正統記)。

平成30年10月31日

塾長 倉田榮喜

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天皇家に伝わる八咫鏡(やたのかがみ)・八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)・天叢雲劍(あめのむらくものつるぎ)の三種の神器は,歴代の皇位継承の標とされる皇室の宝物ですが,日本人にとって鏡や玉や劍は何かを意味しているでしょうか。

神皇正統記には「鏡」は一物をたくはえることも私心もなく萬象をてらして是非善悪の姿を明らかにするもの,「玉」は慈悲の本源であって柔和善順の徳をあらわすもの,「劍」は剛利決断の徳をあらわし智慧の本源と書かれています。

鏡や玉や劍を神皇正統記に書かれているように考えると,この三宝は人生をどう生きたらよいかも示していることになります。

鏡のように真実を歪めることなく正直に受け止めること,玉のように命を癒し傷つけないという積善の徳を有すること,劍のように難事を決断して実践する智慧と勇気を持つことを示していると考えることができるからです。

そこで,皆さんが日々に追及して身につける心身の財とすべきものは,①真実を歪みなく受け取る正直な心,②積善を有徳とする心の財,③善と和を実行する為に必要な知勇兼備の力です。

皆さんが自身の財となる①・②・③を身につける為には,目的を持って修練を積み重ねるしかなく,その日々の修練の成果を明らかにするためには,①今日は正直であったかどうか,②今日は悪より善の行動が上回ったかどうか,③今日は智慧と勇気の鍛錬を怠らなかったかどうか,これらの一つ一つに日々の勝敗表をつけることを日課にして欲しいと思うのです。

平成30年11月12日

塾長 倉田榮喜

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義とは,天理である真と萬物調和の仁に適合することであり,歪みなき正直な心と知勇の力を以て,他者の命を癒し他者の苦しみに同苦し他者の救済に自分の命を使う事と考えるところです。

大原幽学先生(1797年~1858年)は,江戸後期の農村指導者として香取郡長部村(現在の千葉県香取郡干潟町)で孝道と性学を説き,農地整理や現在の農業組合ともいうべき「先祖株組合」を結成して廃村寸前の集落を再興させた義の実践者ですが,当時の特別警察ともいうべき関東取締出役(通称八州廻り)に幕府の秩序を揺るがす恐れある者として目をつけられた結果,江戸幕府に呼び出されて裁判を受けることになり,自身の身分や農地整理と学堂建設を問題とされて有罪となり,遂には自ら切腹して無念とされる生涯を終えられました。

大原先生の生涯を見るまでもなく,他者の救済に自分の命を使うこと自体が簡単に出来る事ではありませんが,掲げた義が権力に抗すると看做された場合,権力は法と力によって権力の安定と秩序の維持を優先させますので,義が権力に影響を与えることはあっても権力に勝つことはないと覚悟する必要があります。

さらに,義を追及する者にとって,その義が大儀であればあるほど名利の追及と背反しますから,大義を掲げてこれを実践することは簡単に出来る事ではないのです。

皆さんは志の中に義を置いて欲しいと願っていますが,その置くべき義は,自らも他者の命も決して無駄にすることがない自分の分に応じた節義であって欲しいと思っています。

平成30年11月30日

塾長 倉田榮喜

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飛鳥時代の中心的政治家である聖徳太子(574年~622年)が制定したとされる一七条憲法第一条に,「一に曰く、和を以て貴しとし、忤ふること無きを宗とせよ。人皆党あり。また達る者少なし。是を以て、或いは君父に順わず。また隣里に違う。しかれども、上和らぎ、下睦びて、事を論ふに諧ふときは、事理自づからに通ず。何事か成らざらむ。」とあります。

一七条憲法の「和」は,事理を追究する議論の方法としての和を記したものとされますが,交渉において「和をもって貴し」とすることは,度を超えた「お人よし」と「間抜けぶり」を示す弱点だとする見方もあるようです。

しかし,「天理は萬物の和にあり」とされるとおり,人の集団において「和」はそれ自体が根本的な価値です。したがって,皆さんが掲げる志の中に置く「義」を達成しようとする道程で,その手段は「和」を乱すものであってはならず,他者の命を傷つけるものであってはならないのです。

自己中心的な我心は,「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」となってしまいがちですが,自分の義を達成するために他者を傷つけることは許されず,執るべき手段を誤った時点で義ではなくなるのだと思うのです。お人よしとの批判を甘受しても,目的としての和だけではなく手段としての「和」も根本的価値です。

そして,皆さんは他者を傷つける事がないのと同様に目的のためであれ自らも傷つく事がないように,少しづつ慎重に諦めることなく,其の志に置く義に向かって歩んで欲しいと願っています。

平成30年12月10日

塾長 倉田榮喜

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平成30年も残すところ3日となり,明年5月からは新元号の新しい時代が始まります。皆さんは,平成最後の本年をどのように振り返り,どのような決意をして,新元号の新しい時代を迎えようとしていますか。

受験を目前にする皆さんは,弱点や不足事項を目前の紙に書き出して日々に確認しながら,惰性に負けることなく自分を律して目的への決意を新たにして欲しいと思います。目的への決意を新たに確認することによって,今年の一年も明年の一年も同じ命の時間の長さだとしても,命の時間の使い方が変わり日々に行う事への取り組み方が変われば新しい自分が始まるのです。

そして,皆さんが生きる人生の生き方としても新年を迎える節目に決意を新たにして新元号の時代を迎えて欲しいと思います。

                                                    1 至誠に悖る勿かりしか

                                                    2 言行に恥ずる勿かりしか

                                                    3 気力に缺くる勿かりしか

                                                    4 努力に憾み勿かりしか

                                                     5 不精に亘る勿かりしか

この五省は,旧海軍兵学校の士官候補生が暗唱したものとされますが,全員による暗唱がリベラズムと柔軟性に欠けるとの批判があったとしても,皆さんは自分自身を自ら律する五省として,目的達成までの今日の一日が,気力と努力に不足することがなかったかどうか等日々に確認して,目的達成に漸進して頂きたいと願っています。

皆さんの良いお年そして素晴らしい新年と目的達成を祈ります。

平成30年12月28日

塾長 倉田榮喜