Category: コラム

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H30.3.9

「我身は父母に受け父母の身は天地に受け天地は太虚に受けたるものなれば本来我身は太虚神明の分身変化なれば太虚神明の本体を明らかにして失わず之を以て人倫に交わり万事に応ずる」と中江藤樹先生の語にあります(柏木義円「基督教の人間観」)。

祖父母も父母と同じく命の源なのですから,皆さんは祖父母に甘えるだけでなく,祖父母を敬い家系や祖父母がどのように人生を生きてきたのか等の話を聴いておくことは大切なことです。

  • 親の意見と茄の花は千に一つの空もなし
  • 実るほど頭を垂れる稲穂かな
  • 下がるほど美しきかな藤の花

と,中学生のときに祖母が訓えてくれた言葉は,二度とない人生を生きるうえで大切な言葉になっています。

大分の岡城跡を訪ねた時に広瀬武夫中佐のしおりを得ましたが,そのしおりには,広瀬中佐の祖母智満子翁の「智満子の訓え」として次の8箇条が記載してあります。

  • 他人の悪口を言ってはなりません。●愚痴をこぼしてはなりません。●嘘をついてはなりません。●人をねたんではなりません。
  • 弱いものいじめをしてはなりません。●約束を守らねばなりません。●人を軽蔑してはなりません。●口にしたことは実行しなければなりません。

広瀬中佐は,日露戦争の旅順港閉鎖作戦で部下を探して戦死を遂げた人ですが,智満子翁の口癖は「これぞ誠のサムライぞ」であったそうです。

平成30年3月9日

塾長 倉田榮喜

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H30.3.30本

万物一体の仁は,人も含めた万物の根本は同じであり,万物自他一体とみなす思想で,陽明学の中心的思想とされます。では,万物を自他一体とみなす「仁」とは何のか。

横井小楠先生(1809年~1869年)の「天理は万物の和にあり」との言も含めて思考すれば,「仁」とは,根本が同じである万物の生命体が調和して命を繋ぐ事と考えられます。「仁」は,人間の意思では離合できない天(自然)の摂理と同じであり,いわば「天道」を指すと考えるところです。

これに対して,「義」は,人間の意思で離合できる「人道」で,人間の集団内で己と他者が調和して生きる為の「則」といえます。すなわち,仁と義は,人間の意思で離合できるかどうかの点で決定的に異なるのです。

二宮尊徳先生(1787年~1856年)に,「非は理に勝つ事あたわず,理は法に勝つ事あたわず,法は権に勝つ事あたわず,権は天に勝つ事あたわず,天は明らかにして私なし」の言がありますが,最後は理も法も権も天には勝てないことを知るべきだと思うのです。

万物の一種である人間の義(人道)は,仁(天道)の下にあり,人間集団の一人である「己」は,仁(天道)の下で義(人道)に則して,己の分を活かすことが求められているのだと思います。

岡田武彦先生(1908年~2004年)は,西洋的制物論に対して東洋的崇物論を展開されました。万物が人間を含めて同根である以上は,人間が由無く他の生命を傷つけて制御したり従わせたりすることは,天理・崇物の道に反し,万物一体の仁に反する悪行なのです。

平成30年3月30日

塾長 倉田榮喜

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H30.4.11 (2)

人は,地球に存在する万物の一つの種にしかすぎず,万物の生存は,自然の摂理である天理によって左右されています。人類が万物を制圧しようとすることは,天理に反し人類の存亡にもかかわることであって,人には自然の摂理(天理)を変更する自由はないことを胆に銘じる必要があります。

人の集団である国家の多くは,人は生まれながらに人間であるということで自然権なる自由を保障するとしますが,自然の摂理が人に自由を認めているわけではありません。人は,春に咲く桜を楽しめるのと同時に,地震,台風,大津波等大自然の変動のなかで生かされているにすぎず,大自然の摂理の下に命を繋いでいるという事実に抗することはできません。

国家において自由(思想,良心,学問,表現の自由等)は,個人の尊厳に基づく中核的権利とされ,この自由は統治権力からの自由として保障されますが,権力と法によって公共の福祉という名目や集団の義である「人道」によって制限される自由であり,人は,国家や人間の集団においても完全な自由はないのです。

さらに,「己」としても,自由は祖父母の血脈から受け継がれる「業」によって制約されていると受け止めざるを得ません。人は,誰もが平等に誕生するのではなく,夫々の「己」は清算すべき「業」を誕生時に背負っていて生まれた環境が負の環境であれば,人生で清算に努めなければならない負荷となります。

人の自由は,①自然の摂理,②集団の義,③血脈の業,に制限された自由であることを覚悟して生きる必要があるのです。

平成30年4月11日

塾長 倉田榮喜

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H30.4.27

小学生の頃に金持ちになることを夢みましたが,「何の為に」という目的を持たず,実現までの「具体的行程表」も作れなかったために,その後の人生を紆余曲折することになりました。

皆さんが夢と目的を実現するためには,①腕力②金力③権力④智力⑤情報力⑥人格等の実現に必要な力を持つことが必要で,その力は他者に影響を与え目的達成の協力を得る力ともなります。

腕力があること(武芸・体力),お金を持つこと(金力),物事の決定権を持つこと(権力・地位),智慧を磨くこと(智力),事情に通じること(情報力),人格(徳力)に優れるなどの力を身につけるには日々の鍛錬と修学が不可欠ですが,根本的な大事は「何に成るのか」ではなく「何を成したいのか」という「志と覚悟」を持つことで,力は目的達成に必要な道具なのです。力のなかでも人格は,古来より「仁者無敵」と言われるほどの重要な力ですから,人格形成には生涯を通して努めて欲しいと思います。

夢と目的を実現するまでの週・月・年の具体的な行程表をつくり,これを実行し力を身につけるならば夢の実現は目前ですが,その目的は自分の「分」(使命)に応じたものであるべきです。

道教の始祖の一人と言われる荘子(紀元前369年頃~同286年頃)は,「小人は財貨を追い求めて身を破滅に陥れ,君子は名声を追い求めて身を犠牲にする」との言葉を残しましたが,皆さんの二度とない人生で最重要なことは,「何の力を身に付けて」「何を成して臨終を迎えるか」という自分自身の覚悟を定めることであり,それが夢と目的の出発点なのです。

平成30年4月27日

塾長 倉田榮喜

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資本主義の中で生きるにはお金が必要ですので,第1には,お金を稼ぐ力(技術や資格等)を身につけなくてはなりません。

どのような技術や資格を身につけるかは,二度とない人生で貴方が「何を成したいか」に由るのですが,修学と修練を専らにして力をつけて稼げるようになった後,第2には,計画的にお金を貯蓄する事と使い方についての設計図を作ることが重要です。

礼記には「入るを量りて出ずるを為す」とありますが,お金を貯蓄するにはまず「入りを計りて出ずるを制す」ことが肝心なのです。

現在の世では,信用・才能・名声・地位のみならず命さえもお金で買うことができる場合があり,お金は実に使い勝手の良い社会の道具でお金を貯めておくことは人生の選択肢を拡げます。

しかし,お金が使い心地の良い社会の道具であるとしても,所有欲のみで金庫や銀行等にお金を貯め続けることを目的とすることは間違いで,貯蓄自体が悩みや身の破滅の原因となります。

また,人生で必要な人徳・品性・愛情・真実の友情・尊敬はお金で買うことはできないことを知らなくてはなりません。

二宮尊徳翁が,収入の半分で生活し残りの半分は将来と他に譲るべきである(分度と推譲)とされた趣旨を思慮すべきです。

人生の最期をどのように終えるかは,お金を持っていることよりも,命とお金をどのように他の為に使ったかで決まるのです。

結局,最重要の第3は,命のある限り必要な技量と力を磨き続けながら,他を思いやる仁心(惻隠の心)を実行する事であって,この生き方こそ人生の臨終を豊かにできる生き方なのです。

平成30年5月11日

塾長 倉田榮喜